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『世界が見た池田大作――200を超えた名誉学術称号』
東洋哲学研究所編 第三文明社刊
2007年8月発刊
1,143円(税込1,234円)
ISBN 978-4-476-06202-1
東洋哲学研究所の創立者・池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、世界の大学・学術機関から200を超える名誉博士号・名誉教授称号などを受章している事実について、世界がかくも称賛するのはなぜか、その理由を考察した書である。
オールカラー 240ページ
内容
まえがき
東洋哲学研究所所長 川田洋一
本年6月、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長との会見を終えたゴルバチョフ元ソ連大統領は、財界の代表と行った懇談の席上、こう切り出したといいます。
「きょう、創価大学を訪問してきたばかりです。池田SGI会長とお会いしてきました。大変に素晴らしい一日でした」
そして、「日本人は池田会長を過小評価している。それは間違っているのではないか。池田会長は大変に立派な人物である。偉大な世界の指導者である」と述べ、さらには「池田会長とは対談集も発刊し、世界で読まれています。皆さんは、その対談集を読まれたのですか」と語ったと伝えられております。
「第三の千年」を迎えた今日、当研究所の創立者であり、創価大学の創立者でもある池田SGI会長に贈られた世界の大学・学術機関からの名誉学術称号は200を超えております。
大学・学術機関における名誉学術称号とは、その大学なり学術機関が威信をかけ、厳正な審査を経たうえで授与するものであります。名誉学術称号を授与するということは、その対象となる人物の功績を讃えると同時に、授与する側の名誉をも左右するものであります。
池田SGI会長自身は、名誉学術称号の受賞式の際、「この称号を恩師である戸田城聖第2代会長、先師である牧口常三郎初代会長に捧げたい」と繰り返し述べています。また、「世界のSGIのメンバーを代表して、SGIメンバーと共に、拝受したい」との心情を吐露しています。
それでは、池田SGI会長が、200を優に超える世界の大学、研究機関からこれほどの「評価」を受けている理由は何か。何ゆえ、五大州にまたがる学術機関から高い「評価」を受け続けているのか。
池田SGI会長が世界から評価される理由について、当研究所は学術者としての視座から、世界の「知性」の言説に耳を傾け、その「内なる精神」にまで肉薄しようと試みました。
それゆえに私たちは、聖教新聞で報道された膨大な「授章の辞」を分析し、さらに、受章に対する世界の「評価の声」、SGI会長の世界の識者との対談をも加味しながら、総合化するという作業に取り組みました。
このような知的作業を通じて、SGI会長への「評価」に内包された実像を浮かび上がらせようとしたのであります。
本書の構成は、まず、西洋中世にまでさかのぼる「名誉学術称号の歴史と意義」について検証し、次いで世界からの「評価」を、次の7つの「主要領域」のもとに分析、考察し、その内容を項目ごとにまとめました。
①国際友好――世界を結ぶ架け橋
②「第三の千年」を拓く――平和、環境、人権、女性
③人間主義の哲学――仏教、法華経、東洋思想
④教育――最大の事業
⑤文化の道・芸術の道
⑥「対話の文明」を目指して
⑦世界が描く人間像
巻末には、218の大学・学術機関からの名誉学術称号の授章理由要項一覧、海外の大学・学術機関での講演一覧、世界の識者との対談集一覧、創立した教育機関一覧を収めております。
本書が、歴史的にも類例をみないほどの名誉学術称号を現実に受章した池田SGI会長への世界からの声に耳を傾け、その全体像に迫ろうとする人々の知的作業の一助となることを切望しております。
最後に、私たちの作業を通して浮かび上がってきた、世界の「知性」が見た池田SGI会長の人間像――それを端的に表現している識者の声の代表として、本年5月、215番目の授賞となったロシア国立人文大学からの名誉博士号の授与式の席上、来賓として出席された英国グラスゴー大学のマンロー博士の祝辞の一部を引用したいと思います。
「私が、池田博士を賞讃申し上げるのは、まさにその偉大なる振る舞いによってなのであります。
世界平和に献身する巨大な組織の指揮を執り、発展させておられる博士の英知――。
日本と近隣諸国との関係改善に献身される博士のたゆまぬご尽力――。
教育者としての啓発の力――。
人々に、なかでも学生や青年に、深く注がれる慈愛――。
人々とのかかわりの中でもたらされる温かなユーモア――。
そして、困難に直面した時の博士の威厳と忍耐の力――。
私が、本日、申し上げたかったのは、こうした博士の偉大な資質なのであります」
今回の出版にあたり、ご協力頂いた関係者の方々に心より御礼申し上げます。
「序章 名誉学術称号の歴史と意義」より
2006年10月7日、北京師範大学からの池田SGI会長に対する「名誉教授」の授与式が、創価大学で開催された。この授与は、世界の大学、学術機関からの「名誉学術称号」としては200番目となった。授与式の席上、池田SGI会長は、「恩師・戸田城聖先生への報恩感謝は当然のこととして、この栄誉を3人の方に報告したい」と語り、中国の周恩来総理、旧ソ連のコスイギン首相、英国のトインビー博士の名前を挙げた。
1974年に中国とソ連を相次いで訪問し、周恩来総理、コスイギン首相と結んだ友好の絆は、その後、日中、日ソ、そして中ソをつなぐ架け橋となった。
1972年にロンドンのトインビー博士の自宅を訪問して以来、2年越し40時間にも及んだ文明間の対話は、その後、対談集『二十一世紀への対話』としてまとめられ、世界27言語に翻訳されている。「名誉学術称号」の授章理由として、トインビー博士との対談集を挙げる大学も多い。
対談を終えて、トインビー博士はSGI会長にこう語ったという。
「トインビー大学の最優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」――。
トインビー博士がいみじくも語ったこの言葉は、今日、現実のものとなっている。
では、本来、「名誉学術称号」とは何か。その歴史と意義、大学における手続きなどを明らかにしてみたい。
ヨーロッパ中世の大学は、教会や政治権力に拘束されることなく、学位を授与する権限を有していた
今日でいう「大学」の起源は、ヨーロッパ中世にまでさかのぼる。当時の大学は、教師と学生との共同体(universitas)として、学問の自由を掲げ、教会や政治権力に拘束されることなく、自らが選んだ人物に学位を授与する権限を有していた。これらの中世の大学が授与した最高学位が、「ドクトル」(doctor)である。
「教える」という意味のラテン語に由来する「ドクトル」は、今日の「大学教授」に相当する。大学から「ドクトル」を授けられるということは、学問の基礎と人間に対する基本的な「知」に加え、その人物が、それぞれの専門知識を修得していることの証明をも意味していた。
称号の授与は、授与する側の「名誉」ともなる
一方、大学が、学外の人物に授与する「名誉学術称号」は、「敬意をもって」あるいは「名誉のために」という意味のラテン語「ホノリス・カウサ」(honoris causa)に由来している。
このラテン語が「名誉学術称号」に当てられたのは、大学は受章者を「敬意をもって」迎え、その「名誉のために」称号を授与したからである。
大学側からみれば、称号の授与は、大学が受章者の功績を正しく評価する見識を示したという点において、授与する側の「名誉」ともなるのである。
「名誉博士」の称号は、その大学で研究して得た博士号とは異なるが、人類社会に多大なる功績をもたらした、優れた人物に対して授与するという意味では、よりグローバルな学問的視点からの評価といえよう。
「名誉」とは、人間のもつ「徳」
では、「名誉学術称号」の「名誉」とは、何を意味するのか。西洋中世においては、ある人物に名誉が与えられる唯一の根拠は、その人物がもっている「徳」にあると考えられていた。つまり、その人物が豊かに備えている「徳」に対して、これを「名誉」として讃えたのである。
古代ギリシャ以来、西洋においては、徳の典型として考えられてきたものは、「勇気」「節制」「正義」「知恵」の4つであり、これらが人間の最高の徳とされていた。
それらの徳を十分に備えた人間こそ、本来、「優れている」人間なのであり、おのずから、その行動は、「立派な行動」となって現れるのである。
ローマの哲人キケロは、その「立派な行動」は、たとえ誰に知られなくとも、誰から賞讃されなくとも、「本性的に賞讃すべき」行動なのであると述べている。
その人物の本性に具わった徳と行動は、社会、さらには人類全体にとっても有益なものとなる。そして、このような行動ができる人物こそ、本来、「名誉」に値するとされていたのである。
歴史的に見て西洋のこれらの徳に相応するものは、東洋においては、仏教では、「智慧」「慈悲」「勇気」「信念」等の徳が挙げられる。また、儒教を代表するものとしては、「仁」「義」「礼」「智」「信」の徳が挙げられよう。
人類社会が互いに関連し合い、たすけ合って発展し、平和をつくりゆく今日においては、人間の具えるべき〝徳〟も、西洋と東洋を含む人類的視野が要請されるであろう。
「徳」ある人間を讃えることは、大学の義務
さて、「徳」を備えた人間は、何らかの見返りを期待して行動するわけではない。しかし、その人の行動が、自ら人類全体の幸福と繁栄をもたらすのであれば、その徳を〝人類の模範〟として世界に示すことは、大学の義務とさえいえるのである。それは、人類的貢献をなす人物を輩出することこそ、大学の本来的な使命だからである。
このような意味において、「名誉学術称号」とは、文字どおり、大学としての「名誉」をかけて、厳正な手続きを経たうえで、承認され、授けられる称号なのである。