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「法華経――世界の精神遺産」展



概要

「法華経――世界の精神遺産」展は、創価学会が東洋哲学研究所に研究・編集を委託している「法華経写本シリーズ」のほか、チベット語訳法華経、モンゴル語訳法華経など「諸経の王」法華経に関する文献や写真を紹介した展示会である。

2003年にはインドで、2004年にはスリランカ、シンガポール、タイでも開催され、「釈尊の深い智慧と慈悲があらわれた法華経は人類の遺産であり、平和思想の源です。人々を啓発する素晴らしい機会になるでしょう」(タイのチュンマイ展で。クワンチャイ副知事)など、いずこの展示会も好評を博した。


インド展

主催=インド文化国際アカデミー、東洋哲学研究所

後援=インド創価学会

展示会場=インド創価学会・国際平和会館(ニューデリー)

開催期間=2003年8月31日~9月3日


インド展

「仏教が発祥の地インドに戻ってきた! それが本当にうれしい」(心理学者のイムハシュリー氏)など、多くの喜びの声が聞かれた開幕式。

創立者・池田大作SGI会長もメッセージを寄せた(別掲)。

この中でSGI会長は、トインビー博士の「一文明における宗教は、その文明の生気の源泉」との言葉に触れ、法華経の精神によって21世紀に「共生の人類文化」を開花させたいと念願した。

また、東洋哲学研究所の川田所長が謝辞を述べた。


インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士は、あいさつ(別掲)の中で大要、次のように語った。

「法華経は、ガンジーに強い影響を与えました。彼は“独立闘争は、インドの自由のためだけでなく、植民地化され、抑圧されているすべての人のための闘いである”としていました。そして法華経が何を訴えた経典なのか、強い関心をもっていました。そこで私の父・ラグヴィラ博士がサンスクリットの法華経を贈りました。一読したガンジーは深く心を打たれ、『こんなに重要な意義をもつ経典を、我々はどうして失ってしまったのか』と言ったのです。

精神は蓮華の花のようなものです。蓮華は自身で花開きます。同様に、人間が具えている仏性は、外界からでなく、あなたの内なる源泉から、自ら展開します。だから、あなたはあなた自身の運命の支配者なのです――これが法華経のメッセージなのです」


創立者・池田大作SGI会長のメッセージ

インド文化国際アカデミー、東洋哲学研究所、インドSGIとの共催による「法華経――世界の精神遺産」展の開催、まことにおめでとうございます。

本日はお忙しい中、ご列席くださいました皆さま、また開催にご尽力くださいました皆さまに対して、心より御礼申し上げます。

私の尊敬してやまないロケッシュ・チャンドラ博士には全面的なご賛同とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。


東洋哲学研究所はこれまで、ロシアの東洋学研究所サンクトペテルブルク支部との共催で、日本、オーストリア、ドイツにおいて、「法華経とシルクロード」展を開催してまいりました。

このたび、「仏教発祥の国」であり、「法華経の故郷」であるインドにおいて、「法華経――世界の精神遺産」展が開催されますことに対して、私は大変に深い意義を感じております。

チャンドラ博士は、昨年(2002年)発刊した私との対談集『東洋の哲学を語る』の中で、「インドで生まれた仏教は、幾世紀もかけて、中国へ、韓・朝鮮半島へ、日本へと伝わりました。そして今、SGIによって、『法華経』が日本から世界に広まったのです。太陽が東から西へ移動するのと同じく、『法華経』も東から西へと“旅”をしています。世界の各国を旅しています。素晴らしいことです」と語っておられます。

「法華経の故郷」において、「法華経――世界の精神遺産」展を共催できますことは、私どもにとって、貴国への大恩に報いていくことであり、大いなる喜びであります。


今回共催のインド文化国際アカデミーは、世界的な東洋学者・言語学者として知られた故ラグヴィラ博士が、東洋の精神的遺産を未来に伝えたいと1935年に創立された、インドを代表する「仏教学・東洋学」の研究機関であります。

ラグヴィラ博士は「文化こそが、生命の力を開花させるものであり、人間を最高のレベルへと高めるものである。また文化はそれぞれの国によって、さまざまであり、世界各国の文化を研究し、理解することが必要である。そして単に過去の歴史を研究するだけではなく、新しいものを創り出すことに貢献するものでなければならない」との信念をもっておられました。

特に、仏教文化を中心に研究するため、国家的事業ともいうべきアカデミーの創立を一民間人の力によってなされたのであります。

この父君が発案された、膨大な東洋の文献を集めた『シャタピタカ(百蔵)』出版シリーズは、現在、チャンドラ博士に引き継がれ、世界に誇る大文化事業として展開しております。


1998年、チャンドラ博士は日本で開催した「法華経とシルクロード」展をご覧になり、「私が感動したのは、多くの人々が見に来られたことです。また、見学者はただ単に『法華経』を見にきたのではなく、『法華経』展に携わった関係者のお心、情熱を感じたのだと思います」との感想を述べられました。

このたびのインドの「法華経――世界の精神遺産」展でも、多くの人々にご覧いただき、これまで法華経に注いでこられた先人の情熱、なかんずくラグヴィラ博士、チャンドラ博士等の貴き志に触れていただきたいのであります。

そして、法華経の“精神の息吹”と“深き哲理”を世界に発信し、人類の生命力を薫発する良き機会とされることを念願しております。

貴アカデミーの名前の一部にもなっている「文化」の語源は「耕す」という意味であります。つまり、人間生命、精神の開発が文化の本質であります。


文化と宗教の関係性について、私の恩師・戸田城聖第2代会長は、「法華経は仏法の真髄であり、民族を復活させ、文化を興隆させる歴史的原動力である」との考えをもっておりました。

13世紀に日本に出現した日蓮大聖人は、「妙法蓮華経」(法華経)の「妙」には「開く」「円満」「蘇生」の3つの意義が包含されていることを説いておられます。

「開く」とは、すべての人間に平等に具わっている「仏性」という無限の可能性を生命の内奥から顕現し開花させていく、という働きを指しています。

「円満」には、次のような意味が含まれています。万物はすべて互いに「縁(よ)りて起こる」関係性にあり、「共生」しつつ、大宇宙の進展をおりなしています。したがって、「小宇宙」の一個の人間生命には、「大宇宙」の営みそのものが内包されているということです。

「蘇生」とは、「内発性」の異名であり、人間自身には常に惰性を打破し、創造的生命のダイナミズムを保ち続ける力が内在しており、その力が万物を蘇生させる源泉となるのであります。

この法華経の「開く」「円満」「蘇生」の法理は、全人類の生命を最高のレベルへと高めていく源泉であり、文化興隆の原動力となりうると考えております。


インドでは、カニシカ王の時代に、法華経を含む大乗仏教の興隆とともにガンダーラ芸術を創出し、東西融合の文化の華を咲かせております。

中国では、天台大師が法華経を根本とした天台宗を開き、その後、仏教の興隆とともに国際的な隋、唐の絢爛たる大文化の華が開きました。

日本では、聖徳太子が仏教を重んじ、飛鳥文化の花が開き、伝教大師が法華経を根本とした日本天台宗を開き、平安文化の開花がありました。


20世紀を代表する文明史家トインビー博士も、「一文明における宗教は、その文明の生気の源泉である」と述べております。

法華経は限りなき希望の哲理であり、衰亡から繁栄へ、対立から調和へと転換しゆく“智慧”の源泉がダイヤモンドのごとくきらめいております。

私どもは皆さまと手を携え、法華経の太陽の光で、21世紀の人類社会に多様なる文化を創造し、共生の花々を爛漫と咲かせてまいりたいと念願するものであります。

インド文化国際アカデミーのますますのご発展、そして本日ご出席くださいました皆さまのご健康と栄光と勝利を、心よりお祈り申し上げます。

最後に、万物が仏の生命を呼吸しながら、個性豊かな生を謳歌している「共生の大地のイメージ」を描いた「法華経」薬草喩品の一節を贈らせていただきます。


 仏の平等の説は 一味の雨の如し 

 衆生の性に随って 受くる所は不同なること

 彼の草木の 禀くる所は各おの異なるが如し

 仏は此の喩を以って 方便もて開示し 

 種種の言辞もて 一法を演説すれども 

 仏の智慧に於いては 海の一滴の如し

 我れは法雨を雨らして 世間に充満す 

 一味の法を 力に随って修行すること 

 彼の叢林 薬草諸樹の 

 其の大小に随って 漸く茂好を増すが如し


インド文化国際アカデミー、ロケッシュ・チャンドラ理事長のあいさつ

1.ガンジーと法華経

我が家の光となっていた法華経は、マハトマ・ガンジーのもとに届けられました。

当時ガンジーは、インドの自由のために闘っていました。そして、インドの人々の自由は人類全体にとっての自由を意味するという、非常に断言的な声明を出しました。彼は、インドの自由のためだけに闘っていたのではなく、植民地化され抑圧されているすべての人々のために闘っていたのです。

そして、彼とともに闘おうと、アジアや西洋の多くの人々が彼のアーシュラム(修行所)を訪ねました。その当時、ワルダーのアーシュラムには、日本人の僧侶たちが滞在しており、よく法華経を唱えていました。また、カンボジアの僧侶も滞在していたので、仏教はガンジーのアーシュラムではかなり存在感があったのです。


彼は、法華経とはいったい何なのか知りたいと思っていました。というのも、インドの地では、そのころまで法華経はまったく知られていなかったのです。革命以前のロシアでサンスクリット語版の法華経が出版されていましたが、それはソビエト連邦の崩壊まであまり知られていませんでした。

そこで、私の父(ラグヴィラ博士)が法華経の複製を入手し、ガンジーに渡したのです。オックスフォード大学から出版された『東方聖書』の中のケルン(オランダの仏教学者)による翻訳でした。

ガンジーは通読し、感動してこう言いました。「こんなに重要な意義をもつ経典を、我々はどうして失ってしまったのか」と。

そこでは実在性と超越性が共に存在しています。そして法華経は、偉大な村落の池の慈悲深き土の中で成育し、素晴らしく輝くのです。同様に、人間の精神も豊かさにあふれ、日々の生活の中で輝きを増し、内なる仏性は高みへと上るのです。精神のこの勢いこそ、法華経の思想のまさに真髄なのです。それ以来我々は、この経典が表しているものを理解するために、せっせと努力しているのです。


1950年代、訪印したフルシチョフ書記長とブルガーニン首相は、ネルー首相に贈るために、ペトロフスキー本(駐カシュガルのロシア領事ペトロフスキーが中央アジアで発見した法華経のサンスクリット写本)のマイクロフィルムを携えてきました。そのころ、私の父は国会議員でした。ネルー首相は父を呼び、「法華経写本のマイクロフィルムが届きました。これであなたは研究することができますね」と言ったそうです。当時は、ソビエト連邦からマイクロフィルムを入手することは、非常に難しかったのです。ともあれ私の父は、首相自身からチャンスを得たのでした。父はその後亡くなりましたが、大英博物館やドイツ・ミュンヘンの博物館所蔵の断片を補いながら、ペトロフスキー本のコピー版を出版することに尽力しました。それ以来、その手法は日本人の学者たちの多大な関心を集めました。


2.法華経伝播の歴史

法華経は、中央アジア諸国において非常に重要な経典でした。なぜなら、中央アジアはインドと東アジアの中間に位置するからです。中央アジア諸国では、法華経は西夏語、チベット語やモンゴル語など異なった言語に翻訳されました。皆さんも、当時さまざまな言語に翻訳された異なったバージョンを目にすることができます。

中国は特別な役割を果たしました。法華経は、最も偉大な翻訳者の一人である鳩摩羅什によって翻訳されました。2000年に私は敦煌を訪れましたが、敦煌近くの鳩摩羅什の馬が倒れて死んだ場所に、ストゥーパ(仏塔)が立っています。彼は、2キロ先の三日月湖に水を飲みに行くところでしたが、渇きのために馬が倒れて死んでしまい、湖にたどり着くことはできませんでした。それは美しいストゥーパで、我々に生命のはかなさを思い起こさせます。私はその地に敬意を表しました。


私は、法華経が発見された多くの場所を訪れました。この法華経展で、皆さんは敦煌の絵画を鑑賞することができます。敦煌の莫高窟には約486の洞窟があり、洞窟群のなかでも最大級です。そして莫高窟第17窟からは、約4万もの写本が発見されました。最古のトルコ語写本や、最古の中国語写本も発見されました。そこは中国のみならず、世界にとって最古の学問の宝庫なのです。敦煌の洞窟はすべて壁画で覆われており、莫高窟、楡林窟、西千仏窟などがあります。これら3つの洞窟群は約千の洞窟からなっています。アジャンターには29の洞窟があります。これらの洞窟をつくった人々の広大さが想像できるでしょう。4世紀初頭、敦煌にはインド人教師がいました。紀元前2世紀には、敦煌は中国の軍事上の要所として非常に重要でしたが、徐々に瞑想の地ともなってきました。この法華経展では、洞窟の出土物とともに、法華経に関する洞窟内の絵画や経典が納められていた容器の写真なども展示されています。


敦煌の洞窟には、グプタ朝時代の書もあります。それは、インドと東アジアの間の生気にあふれた関係を示すものです。その書はまた、「ルックイースト政策」、すなわち、アジアが西洋よりも東洋に目を向けるという関係を創出することに貢献するでしょう。

この法華経展では、たとえばラダックの修道院についても目にするでしょう。ラダックは、かつてコータン王国の一部であり、コータンは中国にとって法華経の写本の源流でした。現在サンクトペテルブルクにあるペトロフスキー本などもまた、コータンから到来しました。このように、コータンは非常に重要な地であり、皇帝治下の中国と非常に緊密な関係にありました。この法華経展で修道院を目にするのは、法華経はインドから直接中国にもたらされたのではなく、コータンを経由して伝えられたからです。このことは、鳩摩羅什の翻訳本に明確に述べられています。


そして、法華経が様々に表象された日本絵画も目にするでしょう。というのも、日本には絵解きという、絵画による経典の表現があるからです。その伝統は、ブッダの時代にさかのぼります。荘厳な9階建の高さを持つジェータヴァナ塔が、師ブッダに捧げられました。しかし、修道院生活に参加したのは、ごく少数の人々でした。そこでブッダは、修道院全体に絵画を描こうと語りました。そして修道院には全階に絵画が描かれ、次第にその絵画を鑑賞しに人々が訪れるようになりました。絵画は人々の精神や心に語りかけ、そして、人々はダルマ(法)のメッセージを受け入れたのです。

そのように、ダルマのメッセージは、非凡な美をもって伝えられました。なぜなら、ブッダは遁世僧侶であっただけでなく、もともと王子だったからです。彼が得たすべてのものは、大いなる慈悲をもって偉大なものとして戻されました。


この法華経展は、法華経の壮大な広がりを紹介する初めての展示であります。美しい色彩のなかに、このメッセージが秘められています。というのも、人間の精神に伝えられるすべてのメッセージは、美的側面をももち合わせていなければならないからです。美がなければ、アヒンサー(不殺生)の美もありません。アヒンサーは本来、人間の精神を慈悲深く知覚することです。慈悲に満ちたものはすべて、目で見える形で表現される必要があるのです。


法華経はさまざまな形式の写本として現存しています。さまざまな法華経の写本のなかでも、ペトロフスキー本は西暦6~7世紀にさかのぼります。それは、鳩摩羅什による漢訳に近い時代のものですが、相違点もあります。

鳩摩羅什は、カシミール人の商人とクチャの王女のあいだに生まれました。クチャの人々はクチャ語を話し、彼らはインドを起源としていました。彼らの祖先はクチャに定住していましたが、同時に中国の伝統ももっていたのです。こうして鳩摩羅什という一個人のなかには、実にグローバルな要素が存在していました。鳩摩羅什は、精神性のレベルにおいても身体性のレベルにおいても、壮大な一個の人間に人類の統合性を体現していたと、私は感じています。なぜなら、彼自身の体がインド、クチャ、中国という3つの偉大な伝統を共有しているからです。


3.むすび

展示がここに開催され、鑑賞できることは、非常に喜ばしいことであります。私は、次の法華経のメッセージを皆さんがもち帰ることを期待しています。「精神は蓮華の花のようなものである。あなたが蓮華の花を開くのではない。蓮華は自身で花開く」と。

このように、人間の精神も蓮華の花なのです。そして、人間の精神は生まれながらにして神聖なのではありません。それは仏性を有しています。仏性は、外界からでなく、あなたの内なる源泉から、自ら展開します。だから、あなたはあなた自身の運命の支配者なのです。


そしてこのメッセージが最も素晴らしく輝くのは、自らの手で、自らの目で、自らの言語で、自らのヴィジョンで、すべてを創造する日本の伝統においてなのです。なぜなら、日本人のヴィジョンは、非常に多くのものを結びつけるからです。池田大作氏は、このメッセージを再びインドにもたらしてくださいました。

もしガンジーが生きていれば、この法華経展に興奮し、法華経には偉大な視覚的魅力があるということを理解するでしょう。なぜなら、アジアが伝統だけでなく、物質的豊かさという点においても現代世界へと発展できることを日本が示したことに、彼は当時とても興奮していたからです。そして、その現代国家・日本には法華経が深くしみ込んでおり、文化と文明の光が輝いているのです。時折、形を変えて起こる問題は、ハンチントンが提示した「文明の衝突」です。いま我々は衝突を避け、文明と文化の共生に挑戦しています。よって法華経は、過去そして未来において、最高の事例の一つなのです。


スリランカ展

主催=スリランカ創価学会

展示会場=コロンボ公立図書館

開催期間=2004年1月17日から20日まで


「スリランカ展」の開幕式には、スリランカ国立大学助成基金のメンディース議長、国立ケラニヤ大学のカプガマゲ副総長、パッリヤグル教授、コロンボ公立図書館のジャヤワルデナ館長ら来賓多数が列席。メンディース議長が伝統の灯火式を行って開会を宣言した。

席上、カプガマゲ副総長は次のように祝辞を述べた。

「アジアで発見された経典が、わが国でこのように展示されるのは初めてではないでしょうか。本展を通して、最重要の経典である法華経に触れることができます。特に大切な点は、民衆の心に最も影響を与えた宗教古文書の保存にSGIと池田会長が尽力していることです。大変に価値のある事業であり、スリランカ創価学会にも感謝申し上げます」

同展は、「サンデー・オブザーバー」紙が1ページ全面カラーで紹介するなど、地元メディアでも大きな反響を呼んだ。 


タイ展

主催=タイ文化省、タイ創価学会

バンコク展=タイ国立図書館(2004年7月31日~8月8日)

チェンマイ展=同年8月27日~29日

チョンブリー展=同年9月8日~15日


バンコク展の開幕式には主賓として、ブットゥリー・ウィラワイタヤ・タイ国王副秘書官長が出席。また、元内務副大臣のカヌン・ルチャイ検察官評議会議長、モントゥリー・ダーンパイブーン元大学庁長官、オラピン国立図書館館長など多数の来賓が列席した。

祝辞のなかで、ブットゥリー・ウィラワイタヤ国王副秘書官長は「人類の大切な遺産である法華経を、仏教に縁の深いタイの地で展示してくださり、心から感謝いたします。タイの人々に多くの価値を与えることを期待します」と述べた。

同展は、タイの最大紙「タイラット」にも予告記事が掲載されるなど、開催前から大きな期待が寄せられていたが、展示の模様は「タイラット」紙のほか、「プージャンカーン」紙、3大経済紙の一つ「クルンテープトゥラキット」紙でも報道された。

そのうち、「クルンテープトゥラキット」紙(8月8日付)では次のように。

「法華経は、すべての人に具わる仏界の生命を説いている。この展示は仏教が世界にもたらしてきた善の数々を伝え、人類の精神遺産としての価値を紹介している」


バンコク展の後、展示は北部の古都・チェンマイ、東部のチョンブリーを巡回。このうちチェンマイ展には、同県のクワンチャイ副知事、フランス領事館関係者らが来場。クワンチャイ副知事は「釈尊の深い智慧と慈悲があらわれた法華経は人類の遺産であり、平和思想の源です。人々を啓発する素晴らしい機会になるでしょう」と開催を喜んだ。

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