ホーム講演会2007年(平成19年)

「池田大作氏と法華経」

2007年に行われた講演会です(最新順)。肩書は開催当時のもの。


「池田大作氏と法華経」(講演の要旨)

講師 ヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士(ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部)


日本の学術界でも証明されているように、「法華経」は一朝一夕に完成されたものではありません。法華経の成立には長い歴史があります。


最初の法華経の「偈」は、紀元前1世紀から紀元後1世紀に北西インドのガンダーラで文書として形成され、法華経の最終的なテキストは、2世紀の末にサンスクリットで完成されたとされています。


詳しい説明は控えますが、大事なことは、法華経を最初に聞いたのは、仏の弟子であり、その弟子たちが、実に膨大な期間に、師匠から弟子へと大切に語り継いでいったということです。


紀元後の最初の数世紀で、法華経の写本は、インドから中央アジア、中国へと流布されていきました。4世紀ごろには、中国から朝鮮半島へ。そして、日本へと法華経が極東地域に広まることにより、法華経の新たな時代が始まります。法華経の研究・流布の新たな流れを築いたのが日蓮です。

日蓮は、末法の信仰の対象、また、日々の実践の根本となる曼荼羅――御本尊を顕しました。

日蓮は、高い精神性と温かい人間性、かつ堂々たる人格の模範でありました。

創価学会は、その流れを正しく受け継いでいるのです。

 

池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の師匠である、創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長は、日蓮の教えを宣揚し、第2次世界大戦下という日本の最も困難な時代に、その教えを流布しました。


牧口は教育者であり、教育学に関する著書を執筆し、社会変革と新しい教育思想を訴え、志を同じくする者を結合しようと尽力されました。

こうして、教育者の団体「創価教育学会」が結成され、第2次世界大戦後には、「創価学会」と改名されました。

牧口の思想を信奉した人こそ、もう一人の教育者である戸田であり、のちに池田会長を真の使命の道に目覚めさせた人であります。

創価教育学会を創設した牧口、戸田の二人は、1943年(昭和18年)、その思想ゆえに、理不尽にも「国民の敵」として投獄されました。牧口は牢獄から出られずに生涯を終えます。戸田は、出獄し、再び青年の育成に積極的に取り組みます。

戸田は、人類の文化と思想の確固たる発展を目指して行動しました。また、法華経は人類の境涯を高め、「だれもが等しく成仏の可能性をもっている」ことを、現代世界の人々にもわかるように教えました。

そして現在、法華経の精神をさらに広めるために指揮をとっているのが池田会長であり、氏とその弟子たちが、新しい時代を築いていると言えるのではないでしょうか。

法華経は、釈尊の最高の教えとして、池田会長の時代に、日本のみならず、世界中に広く流布されました。

創価学会の連帯は欧米にも拡大され、SGIという新たな体制が誕生しました。池田会長は、その組織のリーダーに就任されました。

仏教の実践と思想が、欧州をはじめ世界各国の人々の心を、これだけ広くとらえた事実を、池田会長は「20世紀の偉大なる宗教革命」と呼びました。

 

2006年1月、池田会長は、「新民衆の時代へ 平和の大道」と題して、平和提言を発表されています。そこには、世界平和の闘いに向けた新しい確固たる世代を育成するために、数多くの具体的な提案が記されています。

新たな人間主義思想を訴える池田会長は、優れた思想家・哲学者として、現代にとって法華経がますます重要な哲学となっていることを多くの人に訴えています。

釈尊は、娑婆世界に出現した理由を、人間の意識を目覚めさせるためと説いていますが、それは人間主義を育て、すべての人の生命に内在する“宝”を自覚することに対する呼びかけであると池田会長は解釈しています。

日蓮は「生死を貫いている法というのは、宇宙的調和の法である」と捉えています。

池田SGI会長は、この思想を受け、「死とは、(睡眠をとるかのように)疲れた生命を回復させ、蘇生させるために必要な巧みな手段である」と語っています。

人間はだれもが本来、仏性を具えており、宇宙と同じく永遠に生きる存在なのです。このような教えによって、人々は死を恐れることなく、毅然と安らかに受け入れることを学びます。しかも、そのように悟ることによって、人間の境涯は高まります。

そして、人間が境涯を高めながら宇宙に存在することによって、宇宙自体も浄化されていくと、私は考えるのです。

池田会長は、さまざまな異なる世界に無数の仏が存在するという法理にも言及しています。

法華経「見宝塔品第11」で、空中に宝塔が出現し、十方の諸仏が皆、集まります。

この諸仏が、永遠に宇宙に存在する釈尊自身の分身であることを、池田会長も述べています。

事実、サンスクリット語の法華経には、「これは釈尊が作り出した如来である」という意味の言葉が使われています。だから釈尊と多宝如来が空中の宝塔で、並んで座るのです。

仏が涅槃に入る意味については、「衆生を教化する手段」であると説かれます。

人は、真の仏を自分自身の中に見出すべきなのです。「永遠の仏」が、一人一人の人間の中に存在すると、池田会長は言われています。

次に、「悟り」についてです。

池田会長が展開しているように、「悟り」とは、仏の教えを広めるという自分の使命を自覚することです。

その使命を帯びた同志たちが大地に出現し、説法を聞くようになります。そして説法を聞いた弟子たちから、すべての衆生に、根源的な「悟り」が伝えられ、皆が使命の人になるのです。現代に生まれた菩薩もまた、仏の法の流布を引き継いでいくことになります。

私は、現代の世界で、偉大な使命を自覚し、それを世界中の人々に伝えようとしている人々がおられることを確信しています。仏の言葉を信じることによって、人々の意識変革が起こります。そうして、一人一人の心に調和がもたらされ、時に過酷すぎると思われる現実でさえも、しっかりと受け止められるようになります。

まさに今、この地上の現実世界のただ中に、菩薩が入っていく時が来たと思います。そうすることによってしか、世界を破滅から救うことはできないのです。

その意味で、池田会長が持つ、仏法流布の指導者として大変重要な資質について、申し上げたいと思います。

池田会長が弟子の方たちに語りかける姿は、まるで釈尊が弟子に語るのと同じように思えてなりません。

多くの人々が集う会合などの機会に、会長は、一見、聞いている人々全体に語られているように思えますが、実はそうではなく、個々の一人一人に語りかけられているのです。

池田会長は、世界と対話し、親しい人や友人だけでなく、いかなる人とでも対話を展開されます。先生は相手への尊敬と信頼をもって語られ、難しい問題も解きほぐしてしまいます。

人々から離れることなく、どのように語れば人々が理解でき、何がまだ理解できないかということも常にわかっておられます。

会長は、現代社会は、人類の宿命を大きく転換させる新しい世界観を必要としていることを強調されています。

法華経「如来寿量品第16」は、無数の衆生の教化に生きる釈尊が自分自身への問いかけをするところで終わっています。

 「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」――「私(釈尊)は、常に、このことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を無上の道に入らせ、速やかに仏身を成就させることができるだろうか」――つまり、「どうすれば、民衆を成仏させることができるのか」との問いかけです。

池田会長は、ご自身の生き方そのもので、この問いに答えておられると思います。

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