ホーム講演会2006年(平成18年)

「いのちのはじまりの生命倫理」

2006年に行われた講演会です(最新順)。肩書は開催当時のもの。


「いのちのはじまりの生命倫理」(講演の要旨)

講師:島薗進氏(東京大学教授)


島薗教授は、「これまでは考えられなかった先端医療技術が開発されるにつれ、新たな問題が生まれている」とし、例として「代理母を認めてよいのか」「“親の意向にあった子どもだけを選んで産む”という命の選別は許されるのか」などを挙げ、医療技術で可能なことをそのまま認めてしまえば、もはや人間が今までのような人間であることができなくなる「人間の終わり」が来るのではないかとの憂慮の声を紹介した。


その際、「生命倫理専門調査会」(内閣府総合科学技術会議)の委員として「『ヒトの胚』をどう扱うか」を議論してきた経験を語り、「調査会の最終報告では『ヒトクローン胚の研究目的での作成と利用』を認めた。背景には、拒絶反応のない再生医療への患者からの期待などもある。しかし、クローン胚製造は『人命の手段化・資源化』『命の産業化(人体ビジネス)』につながりかねない危険もあり、科学研究上の必然性や倫理的根拠が十分に示されたとは言えないと思う」と述べた。


さらに、こうした問題に取り組む難しさには「宗教文化の差異」が大きく影響しているとし、一例として、フランシス・フクヤマ氏の“アジアでは人間と人間以外の生きものの間に明確な区別を立てない傾向がある。これは裏を返せば「人間生命の神聖性」への敬意の度合いが低くなることを意味し、アジアで中絶や幼児殺しが多いことと関係があるのではないか”との指摘に言及。


「たしかに、日本には『全体としての“家”を生かすためには、部分としての“個人”(女児・次男・三男など)を殺す』というような考え方も見られた。しかし、その一方で、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のように、人間と他の動物が『ともに尊厳なる存在』として敬意を払い合って生きていくという世界観もあったのであり、アジア的生命観を一概に低く評価することはできない。ともあれ、医学だけでなく『文化』の観点から議論を重ねていく必要がある」と強調した。


(これまで「東洋学術研究」に掲載された島薗教授の6論文が、このホームページの「論文BOX」のコーナーでお読みになれます)


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