ホーム講演会2006年(平成18年)

「医学と人間の未来」

2006年に行われた講演会です(最新順)。肩書は開催当時のもの。


「医学と人間の未来」(講演の要旨)

講師:フェリックス・ウンガー氏 (ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長)


自然科学として進化

「医学と人間の未来」について語る、その前提として、医学は人類におけるさまざまな文化的な努力の上に築かれた成果であることを最初に確認しておきたいと思います。

それではまず、医学の歴史から見ていきましょう。医学は人類とともに常に存在してきました。当初、人間の運命は神から授けられたものとされていたため、医学は神学の一部と考えられていました。しかし、医学はやがて神学から分かれ、独自の道を歩むことになります。

そして今日、医学の原点を求めようとするならば、それは約2500年前のヒポクラテスの時代にまで遡ることになります。医師の責務を述べた「ヒポクラテスの誓い」には、"医師は患者の痛みを和らげ、病を治療し、生命を維持し延ばす"とあります。これは今日までも依然として、医師のなすべき義務となっています。そして、ヒポクラテス以降、解剖学や生理学といった分野の進展が見られ、ヨーロッパでは、これらを学ぶ医学部が設立されます。

医学の大きな進歩は、デカルト、ラ・メトリらの出現をきっかけに起こります。

『人間機械論』を著した医師ラ・メトリは、人間の身体を機械と同様なものと考えました。そして、彼の出現以降、医学や医療は、身体の機械的な側面にのみ向けられることになるのです。

それは人間に対する誤った理解の源になりましたが、そうした理解を基盤に、医学は自然科学の一つとして大きく進化を遂げていくことになります。解剖等による研究、疾病に対する生化学的なアプローチ、顕微鏡の発明などによって、医師が病因を直接確認できるようになりました。

20世紀には血液に関する研究、さらにはDNAの二重らせん構造の発見など、遺伝子の研究が進み、医学はこれらの後押しを受け、今日まで発展してきました。


"夢の医療"実現か

さて、現代医学は、診断、治療などさまざまな面で、夢のような医療を実現しています。例えば、現在、私たちは病院を訪れると、そこには多くの素晴らしい医療機器が並んでいます。また、病気などで入院すれば、各科の専門医による診断が行われ、治療方針が決定されます。MRIといった磁気共鳴装置を使用するようになり、物理的に身体の微細な診断が可能にもなりました。

また、現在、少量の血液を採取するだけで、大量の情報を得ることができます。

採取した血液をサンプルにして、その成分を分析することで、自身の健康状態を詳細にわたって知ることができるのです。

しかし、これは私が若い医師に言っていることですが、「素晴らしい機械がいくら開発されようと、私たちは自らの手を使うこと、耳で聴くことを忘れてはいけない」と思います。

薬剤の分野でも、治療等に高い有効性を示すものが多く開発されています。私が医師になった当時、胃かいようの治療には、さまざまな困難がありました。しかし現在では、胃酸をブロックする薬剤が開発され、治療が容易になりました。

胃かいようの治療に外科的手術を要することも少なくなりました。これには内視鏡の開発も大きく寄与しています。

私の専門分野である心臓外科も急速に発展した分野です。私が最初の心臓手術を手がけたのは1969年ですが、当時、心臓手術が可能だったのは、心臓に異形成が見られる乳幼児の手術だけでした。やがて心臓弁の手術が可能になり、さらに血管を拡張する手法が開発され、これが心臓の冠状動脈の手術にまで発展しました。そうした技術の向上によって、高齢の患者の手術も安全に行われるようになりました。

臓器移植も、この40年ほどで大変な進歩を遂げました。この分野では、移植手術の向上と人工臓器の開発の二つが大きな進歩として挙げられます。

86年、私も人工心臓を用いた移植手術を行いました。世界で2例目の症例です。人工臓器の開発は今後、医療のなかで非常に大きな影響力を及ぼしていく分野であろうと思います。


現代医学への疑問

このように現代医学を見ると、医学や医療には、もはや限界がないのではないかとの感さえあります。しかし、一方で医師や医療関係者が、現実に直面する課題も増えています。それは、遺伝子治療の問題であったり、延命治療、安楽死の問題です。これらは人間の生と死を医学にゆだねてしまう危険な側面を有しています。

最近注目される再生医療では、人間の生命の始まりである胚の利用をめぐって大変な議論になっています。

こうした現代医学への疑問は、ラ・メトリの『人間機械論』以降、人間に対するおもだった理解への反動といってよいと思います。あまりにも医学や医療が人間を"もの"として扱いすぎたことへの反省が込められているといってよいでしょう。したがって、私たちは、いま医学の新しいパラダイム(思考の枠組み)を構築しなければならないところへと来ているのです。


主体としての患者

新しいパラダイムとして私はここで3点挙げたいと思います。

1点目は、"主体としての患者"ということです。

現代医学は治療を優先するあまり、患者の身体的側面のみに目を向けてきました。しかし、人間は身体のみで形成されているのではありません。心臓疾患をわずらっている患者がいれば、その人は心臓だけを病んでいるのではない。その人全体が病んでいるのです。したがって心臓疾患の治療とともに、その人自身への温かい言葉や働きかけが必要になります。

新しいパラダイムの2点目は、"超医学"といえばよいでしょうか、現在の医療の枠を超えた治療法の創出です。人間の遺伝情報の解析が急速に進み、遺伝情報をもとに個々の患者にあった医療、テーラーメード医療の開発も進んでいます。

また、がんの治療に関しても、内視鏡やMRIを用いることで、これまでの手術とは比べものにならないほど体に負担の少ない治療が可能になっています。さまざまな技術を駆使することで、患者に対する効果的な治療法が今後さらに実現されるでしょう。


予防による健康維持

3点目は、"予防医学による健康維持"です。これまで多くの医師や医療関係者が予防医学に取り組んできました。彼らは、人々に対し、さまざまな健康法を訴えてきました。しかし、人は体質も違えば生活習慣も異なります。自身の体をよく知り、それに見合った健康法が必要です。

96歳まで生きた私の叔父がユーモアを込めて語っていました。「子どもたちよ、自分の体や健康をどう維持していけばよいのかを40歳までに学ぶことができなければ、もうあきらめた方がよい」と。

今日、私たちは自身の体や健康状態について、その多くを知ることができるようになりました。さらに遺伝情報の解析によって、特定の疾患が将来発症する確率まで分かるようになりました。これはあくまで統計学的な分析ですが、そうした情報によって、個々の生活習慣の改善を行うことができます。

「医学と人間の未来」について考える時、非常に明らかな点があります。それは、私たちが高齢化を避けられないという事実です。高齢化にともない、今後、社会も変化します。アルツハイマー病を発症する人の割合も増えます。

それに対し医学も医療もこれまで以上に進歩を遂げ、社会の変化に対応する努力を続けるでしょう。しかし、そこには必ず人間と医学をめぐってさまざまな課題が生じることは先にも述べた通りです。

したがって、私たちは自身の健康、将来に対し自ら責任をもち、積極的に健康を維持するよう日々取り組むことが何よりも必要です。人間の未来も、医学の未来も、すべて自身の中にあるのであって、それは自分自身が築いていかなければならないのです。


Felix Unger 1946年生まれ。オーストリア・ウィーン大学医学部卒。インスブルック大学教授などを経てザルツブルク病院心臓外科医長。1990年、ヨーロッパ科学芸術アカデミー誕生とともに創立者の一員として同会長に就任。ブダペスト大学名誉医学博士等の称号も受けている。

〈聖教新聞2006年4月13日付より転載〉


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