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「法華経とシルクロード」展 写本の歴史と形態



シルクロードに花開いた仏教文化。その教えを伝える上で、「写本」「木版本」は画期的な力を発揮した。

その歴史と意義については、「展示会カタログから 序論(解説)」の「3.大シルクロード由来の写本」にくわしい。また「展示会カタログから 創立者あいさつ」でも、経典書写の起源についての一説が触れられている。

経典を書写する意義

ここでは別の角度から、「経典の書写」について解説する。

<聖教新聞1998年11月25日付より抜粋・転載>

経典はなぜ書写されたか

「写本」は「仏法の教えを世界に広めたい、永遠に伝え残したい」という情熱の結晶である。

井上靖の小説『天平の甍』には、日本に正しい経典を伝えようと、唐の国で20数年、ひたすら写経に心血を注ぐ一人の留学生が登場する。仏法の流伝は、このような人々の献身があって初めて成し遂げられた。

インドでは釈尊の時代から数百年、経典を文字に記す習慣はなかった。教えは記憶され、口から耳へ伝えられた。経典が文字に記されるようになるのは、出家中心の仏教の限界を打ち破り大乗仏教がおこる時代である。この時代、社会も仏教界も混乱を極めていた。

すべての民衆に仏法を教えたい! 後世に正しく伝えたい!――ここに、大乗仏教の根本精神があり、経典「書写」の動機があったと思われる。

多くの大乗経典は「書写」の功徳を強調する。法華経の「法師功徳品」にも「受持・読・誦・解説」とともに「書写」の功徳が説かれている。

写本は何でできているか

インドの経典は、樺(かば)の木の皮の「樺皮」か、ヤシ科の多羅(ターラ)樹の葉「貝葉(ばいよう)」でできている。

このうち広く用いられた『貝葉本』は、切りそろえられた葉の両面に文字を記し、一枚一枚に穴をあけ、ひもを通して束ねたもの。長い経典では、数百枚の葉が使われた。中央アジアでは、この形式で「紙」や「樺皮」も使用された。展示品のペトロフスキー本「法華経」も、貝葉本の形式をとった紙本である。

「紙」の発明以後、特に中国では、巻物の形式の『巻子(かんす)本』が一般的となる。

そして9世紀ごろから、紙を交互に折り、アコーディオンのようにして使う『折本』が作られるようになった。

更に、ノートのようにとじた『冊子(さっし)本』が広がるようになった。


てい談『東洋の智慧を語る』より

創立者・池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長と、中国の「国学大師」季羨林博士、法華経研究の大家・蒋忠新教授(中国社会科学院アジア太平洋研究所)による『文明てい談 東洋の智慧を語る』(東洋哲学研究所刊)では、法華経写本をめぐって、「法華経に使われている言語」「大乗非仏説論への批判」などが論じられている。その一部を紹介する。

「法華経」編纂の時代

(第2章「『法華経』の起源――『大乗非仏説』論批判」の「4 口承の経典化」より)

『法華経』編纂の時代・思想状況 

 古代インドを記述した歴史文献がとぼしいため、『法華経』編纂当時の時代状況や思想状況について、たしかな史料にもとづく詳細な説明はできません。

それでも学者たちは、『法華経』自身の思想内容や言語的特徴から、『法華経』編纂当時の時代状況や思想状況等、多方面にわたる問題の探究や推測に努めています。

たとえば、季先生は、次のように明確に述べられています。

「『法華経』の発生地は、マガダであり、時期は、紀元前2世紀前後であったと考えられる。……言語的特徴からみると、『法華経』は、原始仏教の範疇に属すべきものである」(『季羨林文集・第七巻 仏教』、「梵本『聖勝慧到彼岸功徳宝集偈』を論ず」、江西教育出版社 )   (中略)

 『法華経』が表している平等思想からは、当時の民衆の中に、人々が成仏できる、という精神的な需要、あるいは、宗教的な需要があったと考えられるのではないでしょうか。

同じように、『法華経』が表している「会三帰一(えさんきいち)」の主張からは、当時の民衆の中に、三乗を統一させたいという、願望や要請があったと考えられるのではないでしょうか。

大切な教えは暗唱

池田 「開三顕一」のことですね。よくわかります。 ところで、インドには、大切な教えは文字に書きとどめるのではなく、暗唱し、心にとどめていく習慣があったようです。この点はいかがでしょうか。

 そうですね。インドの古い時代には文字がありませんでした。バラモン教の聖典である『ヴェーダ』は、師から弟子へと代々口承で伝えられてきました。

池田 『法華経』が編纂された時期はどうですか。

竜樹の著とされる『大智度論』には「仏口の所説を弟子誦習し、書して経巻を作る」(大正25巻506頁a)とあります。この「経巻」とは大乗経典を指しています。文字で記して経典を編纂したようですが……。

 『法華経』が形成された時代には、インドにも独自の文字が存在しました。

すでにアショーカ王の碑文が刻まれています。それが証拠です。

池田 蒋先生、口承が経典として編纂されるようになった要因について、どのようにお考えですか。

また、口承から文字による記録に変わった経緯についてはどうお考えですか。

経典編纂の態度について、『法華経』に関して諸経典とは異なる何か特別な点がありますか。

書写自体が「修行」だった

 『法華経』自身から、『法華経』書写は一つの修行であり、『法華経』を永遠たらしめる功徳であることがわかります。

『法華経』書写は、まさに信仰を体現する修行であり、功徳を積む方法の一つでした。

書写は2種類あり、一つは、信徒自身が書写するものです。もう一つは、信徒が供養者、あるいは布施の主としての立場で、お金を出して人に書写してもらうというものです。

大乗仏教では、功徳は回向できると信じられていましたから、写し手が書写を通して得られる功徳は、写し手自身に属するだけではなく、供養者や施主にも回向されるとされました。

要するに、この2種類の書写は、いずれも修行のため、功徳を積むためであったのです。

池田 『法華経』を読むと、文字や暗唱で伝えられた仏説の中から、釈尊の思想の核心を選び取り、見事に蘇らせているとひしひしと感じます。

編纂者の中に、釈尊の悟りに肉薄し、つかみ取った俊逸がいて、見事にリーダーシップを発揮したとしか思えません。


法華経写本の「類のない特徴」

(第3章「『法華経』の流布――インド・中国・日本」の「1 『経中の王』の根拠を示す」より )

写本が証明する歴史上の事実

 広く歴史を振り返れば、おびただしい仏教経典の中で、『法華経』こそ、世界でもっとも長期にわたって伝播し、もっとも広範に流布し、もっとも数多くの信仰者と研究者を集める経典です。まさに「経中の王」であることがわかります。

また、広く現状を考察してみれば、現代の世界にあって、もっとも大きな影響を及ぼし、しかもますます広がりをみせている仏教経典も、やはり『法華経』であることがわかります。

ゆえに、未来を展望する時、われわれは確信をもって「21世紀において『法華経』は全世界に広まっていくであろう」と予見することができます。

池田 実に明快なご主張です。とくに、どのような事実にもとづいて、そう、お考えなのでしょうか。

 私がこのように申しあげるのも、ただ一つの根拠にもとづいています。それは、客観的に存在する事実です。

私自身は無宗教、無党派であり、ただ「実事求是」を指導方針として実践している平凡な一研究者にすぎません。

私が根拠とする事実を簡単に紹介したいと思います。

『法華経』の起源はインドにあります。ただ、古代インド文化は歴史の事実を記した文献がとぼしいのです。

そのため、『法華経』がインド仏教史上にどのような影響を与えたかとの問いに対し、具体的に、また詳細に答えることはできません。

しかし、現存する他のいかなる仏教経典の梵文写本と比較しても、『法華経』写本には、きわめて明瞭で、他に類のない特徴があります。

池田 たしかに、歴史を重視する中国と比べ、古代インドには史書があまり見当たりません。時間をこえたものへの憧憬が強いゆえでしょうか。

それでは、『法華経』の類のない特徴とは、具体的にはどのようなものでしょうか。

 第1に、梵文写本の数量が多いことです。

第2に、写本発見地も多く、それがきわめて広範囲にわたることです。

第3に、言語、構成および文章の長さなどで、写本間の違いがもっとも複雑であることです。

第4に、書写された期間が長く続いていること、などです。

これらの特徴を総合的に研究すれば、われわれはたしかな結論を導き出すことができます。すなわち、『法華経』はインド仏教史上において非常に広範囲にわたり、長きにわたって影響を及ぼした仏教経典であるということです。

竜樹も世親も重用

池田 明快です。よく理解できます。大仏教学者の竜樹、世親らも『法華経』を用いていますね。竜樹は『大智度論』に『法華経』を引用しています。竜樹は、2~3世紀の大乗の大論師です。南インドで活躍しました。

また、世親は『法華論』(菩提留支訳『妙法蓮華経憂波提舎』、勒那摩提訳『妙法蓮華経論憂波提舎』の漢訳のみ現存)という『法華経』の注釈書を著しています。4~5世紀の人です。北インドで活躍しました。

この2人の文献を見るだけでも、南北インドで、数世紀にわたって『法華経』が注目されたことがわかります。


「ロータス・ロード(蓮華の道)」の広がり

(第3章の「2 インドから西域、中国へ」より)

シルクロードは「宗教の道」

池田 さて、『法華経』は、広大なインドから、次に西域へ、東アジアヘと広がっていきました。いわゆるシルクロードは、『法華経』を伝えた「ロータス・ロード」(蓮華の道)でもありました。

 そうです。シルクロードは同時に「宗教の道」でもあったのです。

僧侶と商人はたがいに助け合い、補い合うだけでなく、たがいに依存し合って生きていました。中国やインド、他の国々の高僧の多くは、シルクロードを通って往来しました。

池田 『法華経』は、時間をこえて、地域をこえて広く人々に信奉されていきます。そして、多くの民族、数々の文化のなかで、普遍的な価値をもち、また独自の展開をみせてきました。

 『法華経』は古代西域に伝わり、その地の仏教史において、もっとも広く、かつ長く影響を及ぼした仏教経典となりました。

それは、先ほど申しあげたとおり、古代に西域と言われた地域から今日までに出土した梵文『法華経』写本の数がきわめて多く、発見地の範囲も広く、版本の複雑性、書写された年代が時間的に長期にわたっているという事実等の面からみても、他のいかなる仏教経典も比較にならないからです。 たとえば、古代に西域と言われた地域において、今までに発見された『金光明経』の梵文写本はきわめて少量です。

諸民族の信仰集めた『法華経』

池田 西域の諸民族も、『法華経』を厚く信仰したようですね。

この数年、私どもの東洋哲学研究所では、ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部が所蔵する写本・版本等を、「法華経とシルクロード」展として、東京(1998年)、ウィーン、ドイツのヴォルフェンビュッテル(いずれも2000年)で開催しました。

東京展では、『法華経』など、シルクロード全域にわたる13種類の文字、14の言語の写本・版本が展示されました。

縦書きもあれば横書きもありました。貝葉や紙だけではなく、白樺の樹皮もあれば皮革もありました。実に豊かな広がりを感じました。

 よくわかります。『法華経』はまずインドから西域に伝わり、続いて西域からシルクロードを経て中国に伝わりました。

池田 そうですね。漢訳以外にはチベット語訳、モンゴル語訳、古代トルコ語訳、満州語訳、安南語訳などがあります。近代ではE・ビュルヌフによるフランス語訳、H・ケルンによる英語訳、南条文雄と泉芳璟による日本語訳などの訳本があります。

漢訳では鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が「絶後光前」の名訳として著名で、今でも読誦されていますね。西夏語訳などは漢訳からの重訳です。

 歴史上、『法華経』はチベット語、ウイグル語、西夏語、モンゴル語などに翻訳されました。これらの言語を使用する民族の文化に対しても、同様に重要な影響を及ぼしました。

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