「法華経写本シリーズ」コラム
人類の希望の経典――法華経の写本刊行
小槻晴明(東洋哲学研究所委嘱研究員)
(※聖教新聞2004年03月4日付より転載)
素朴な疑問にかられ
法華経漢訳の完本には、『正法華経』(286年)、『妙法蓮華経』(406年)、『添品妙法蓮華経』(601年)がある。
これらは、仏教梵語で書いたと推定される梵文法華経写本の翻訳である。『正法華』と『妙法華』の訳文はかなり異なり、原本となった写本(いずれも未発見)が同一でないと考えられる。また『添品法華』は、『妙法華』の内容とほぼ同じで、前者は後者に欠けている個所を補足したものである。これらの中で鳩摩羅什の『妙法蓮華経』が、中国・日本で最も親しまれてきた。
天台大師(538~597年)は、この漢訳に基づいて天台教学を樹立し、それが、日蓮教学の理論面の基盤であることは周知の事実である。
ところで、鳩摩羅什の訳文は本当にすべて正確なのだろうか、という大それた疑問が35年前に、予備校生であった筆者の脳裏に浮かんだ。まさか羅什ともあろう人が、万が一にもそんなことはないだろうと思いつつ、何とかこれを確かめたい、という願望が強くなっていった。しかし、誰もこんなことに答えてくれるはずはなく、自分でやってみるしかない、という思いに駆られ、志望大学を理科系から文科系に変更した。
戸田教授との出会い
2年間の予備校生活の後、大学に入学し、ひとり勉強を始めた。しかし、このような試みは無理ではないか、と思うようになった。現在の30種類を超える、書写年代や発見場所も異なる梵文法華経の写本を参照しても、『妙法蓮華経』の原本となった写本が未発見なので、その訳文を正確に検討することは困難であるからだ。
やむを得ず、現存の写本を読んでいくことにした。しかし、写本には例外なく、誤写、語句・文章の欠落、挿入が見られ、また語法の差異による表現の違いが認められる。さらに、後世の人がはじめの文字を消し、その上に別の文字を加筆(写本によっては、複数の人が加筆している場合もある)したものもある。
写本とは、一筋縄でくくれるような単純なものではない。筆者に写本読解の訓練を施してくださった故戸田宏文先生(徳島大学名誉教授)は、これらのことを考慮しつつ、約40年間、梵文法華経写本の文献学的研究に没頭し、尊い生涯を捧げられたのである。1993年2月の戸田先生との出会いを出発点として、筆者はこのような写本研究の遠大な本流に身を任せることになった。
昨年12月に創価学会から出版された拙著『東京大学総合図書館所蔵 梵文法華経写本(No.414)―ローマ字版』は、筆者がこれまで戸田先生から受けてきた訓練の成果を具体的な形で表した最初のものである。この写本は、わが国の南條文雄とオランダのヘンドリク・ケルンが1908年から1912年にかけてロシアのサンクトペテルブルクで出版した梵文法華経の校訂本(「南條・ケルン本」)の校合に使用された写本の一つで、学術的に非常に重要なものである。
ところで、「南條・ケルン本」で参照された写本は8種類で、それぞれ異なる系統(戸田先生は、この系統のことを「グループ」と名付け、すべての写本を10種類近いグループに分類されていた)に属し、写本の数から言っても、現在の学術的要求を満たすことはできない。これに代わる新たな校訂本の出現が強く待望される。
写本のローマ字化
今回の出版を知った友人・知人から「法華経を翻訳したのか?」とよく尋ねられる。だが、これは翻訳ではない。この機会に、写本のローマ字化とはどういう作業であるかを説明させていただきたい。本書の出版に6年半(準備期間も含めると約10年)もの時間がかかった理由である。
梵文法華経写本は、アフガニスタンのバーミヤン地方、中央アジア、チベット、カシミール地方、ネパールのカトマンズ盆地などの広大な地域で、厳密に確定はできないが、2、3世紀頃から18世紀頃まで、ブラーフミー文字を使って書写された。これは、経典の書写が福徳を積み、祖先の供養になると考えられたからである。
一口にブラーフミー文字といっても、各地域、時代によって異なる名称をもつ様々な書体が用いられた。しかし現在は、デーヴァ・ナーガリーという現行の書体が主に使用され、梵語を学ぶ人々は、デーヴァ・ナーガリーかローマ字で印刷された文法書、読本、辞書を使って学習するので、写本読解の修練を積まないと、梵語を修得しても写本が正確に読めるわけではない。
これは、日本人であっても、すべての人が日本の古文書を正確に読むことができないのと同じことである。どんな言語でも写本読解の原則は同じなので、今はごく単純化した日本文を例にローマ字化の作業を説明してみよう。
(例文1)
彼は昨日駅で買った弁当を食べた。
(例文2)
彼は、昨日駅で買った弁当を食べた。
(例文3)
彼は昨日、駅で買った弁当を食べた。
(例文4)
彼は昨日駅で、買った弁当を食べた。
例文1をいきなりローマ字化することは危険である。なぜなら、例文2、3、4の読み方が可能であるからだ。これを梵文法華経写本の読解に置き換えると、写本の系統が異なるということになる。これを見極めてからでないとローマ字化の作業に着手できない。ある写本の読み方に迷ったとき、同じ系統の写本を手がかりに読解を進めないと、一貫性のない読みをつなげただけの奇妙なテキストを作ってしまう恐れがある(この好例が「南條・ケルン本」である)。写本の系統を確定するのは容易ではない。すべての写本に目を通し、必要に応じて、二つの漢訳、チベット語訳(9世紀初め頃)、仏語訳(1852年)、英語訳(1884年)を調べ、さらにわが国や欧米の仏教学者の諸論文も参照する必要がある。
そして、最も大切なものは写本の系統を見抜く「勘」である。これは、写本読解の長い経験からしか生まれない。戸田先生は「わしは職人だ」とよく言われていた。先生から見れば、筆者ごときはまだまだ駆け出しの半人前である。
シリーズ5まで完成
創価学会は1994年1月、「出版委員会」を発足させ、世界の学術機関や専門家と協力し、法華経の原典研究に不可欠で学術的に価値の高い資料を刊行・提供するプロジェクトを開始した。これが、新たな校訂本の完成と出版を視野に入れているのは当然である。
これまで『旅順博物館所蔵 梵文法華経断簡-写真版及びローマ字版』『ネパール国立公文書館所蔵 梵文法華経写本(No.4―21)-写真版』『同-ローマ字版1』『カーダリク出土 梵文法華経写本断簡』『ケンブリッジ大学図書館所蔵 梵文法華経写本(Add. 1682およびAdd. 1683)―写真版』が発刊されている。昨年末に発刊された『東京大学総合図書館所蔵 梵文法華経写本(No. 414)―ローマ字版』は「法華経写本シリーズ5」にあたる。長い険しい行程であるが、50年後、200年後の絢爛たる人間文化開花のための礎石の一つとなる偉業であることは間違いない。
