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「法華経写本シリーズ」コラム

梵文法華経写本のローマ字版とは何か

小槻晴明(東洋哲学研究所委嘱研究員)


  1. はじめに
  2. 「ローマ字化」は「翻訳」ではない
  3. 「ローマ字化」は簡単な作業ではない!
  4. 梵文法華経写本の系統
  5. 結び

ネパール系梵文法華経写本略号一覧【PDF 99.7k】


1.はじめに

2003年に拙著『東京大学総合図書館所蔵梵文法華経写本(No. 414)ローマ字版』が出版された直後から、仏教学の専門家ではない、私の友人や知り合いの方々から「法華経を翻訳したのですか?」という趣旨の問い合わせをたくさんいただいた。仏教梵語を読んでいる学者ならなんら疑問を抱かない「ローマ字化」という作業内容が、一般の人々には、まったくと言っていいほど、正確に理解されていない現状を知って、筆者は大いに驚き、この作業の内容をもっと、もっと、分かりやすく、正確に理解していただくことが、まず大切であると痛感した。


その後、機会があって、聖教新聞の文化欄(2004年3月4日付)に、筆者なりに全力で「ローマ字化」の作業について、できるかぎり平易に説明したつもりであった。筆者としては、これを読んでもらえれば、「この作業の内容は十分に分かってもらえるはずだ」と確信し、その目的を達成できたという自信があった。しかし、この記事を読んでくれた人たちに「どうでした。分かっていただけましたか?」と尋ねてみると、「よく分かった」と答えてくれた人たちより、「まだ、よく分からない」と、答える人たちの方が多いことに気がついた。これはショックであった。ある物事を、人々に正確に伝達し、理解を得ることがいかに困難であり、重要な作業であるかということを思い知ったしだいである。

2.「ローマ字化」は「翻訳」ではない

『広辞苑・第五版』によれば、「翻訳」とは、「ある言語で表現された文章の内容を他の言語になおすこと」と定義されている。これにならえば、「ローマ字化」とは、「ある文字で表現された文章をローマ字になおすこと」と定義できるだろう。例えば、「春が来た」という日本語の文章を“Haru ga kita”とローマ字になおすことがこれに相当する。これで明らかなように、「ローマ字化」とは、「春が来た」という文章の内容に関係する作業ではなく、ある言語(この例の場合は、日本語)が使用している文字を同じ言語のままでローマ字に書き換えることであるといえる。

3.「ローマ字化」は簡単な作業ではない!

このように考えると、「ローマ字化」は簡単で単純な作業ではないか、と思われるだろう。たしかに、「春が来た。桜の花が咲いた。…」というような、誤写や脱字などが生じる可能性が低く、校閲を経て印刷された文章をローマ 字になおす場合は、「ローマ字化」の過程で、作業をする人が間違いさえしなければよいわけで、これは、簡単で単純な作業である。しかし、写本の場合は、「ローマ字化」を試みる時点で、印刷された文章の場合とは、その前提条件がまったく異なる。


その一つは、いかなる写本にも誤写が必ずみられるということである。誤写にも、書写生の単純な不注意から生じる誤字、脱字、綴りの不統一、語句や文章の欠落などもあるが、厄介なのは、写本が書写される時にすでに、書写生にも意味が分からなくなってしまった単語や語句があり、さらに、何通りもの読み方が可能な文章のある場合である。そのような箇所は、学識のある、優秀な書写生も、写本の読み方に迷い、内容を正確に理解することが困難になって、本来そこにあった写本の文字を消して、その上から違う読み方を書いたり、その部分を勝手に削除していることもある。一般に書写生は優秀な学僧である場合がほとんどであるが、能筆というだけで、仏教や梵語の知識が乏しい書写生もいたようである。このような人の書写した写本はとくに注意が必要である。


いずれにしろ、このような解読が難しい部分は、現在でもどのように読んでローマ字になおすのが最善なのか、専門家のあいだでも種々議論があり、結論が出ていないものもある。したがって、「ローマ字化」の作業の過程で、不適当と考えられる語句や文に出会えば、その誤写の原因を可能な限り正確に見極め、できるだけ多くの写本に目を通し、世界の仏教学者の見解を参考に、それにふさわしい処理をほどこし、ローマ 字になおすことが必要となる。

4.梵文法華経写本の系統

二つめの違いは、梵文法華経のネパール系写本には、いく通りもの読み方の系統が存在することである。この事実は、ネパール系の写本の本数が30種類以上もある梵文法華経ならではの特別な現象である。一般的にいえば、写本の本数が10本を超える仏典は珍しい。この系統の流れをしっかり把握しておけば、二通り以上の読み方が可能な文章に出会って、それらのうちのどれか一つの読み方を採用しなければならない場合、それらを適切に判断し、ローマ字になおすための最も有力な根拠を保持していることになる。


一例として、『法華経』「法師功徳品」の次の語句をあげよう。(「ケルン・南條本」とよばれる刊本の370ページ、3行目)

この箇所は「チャクラヴァーダ山と大チャクラヴァーダ山に」といった意味であるが、P3, T2, P1, P2(ネパール系梵文法華経写本略号一覧を参照)の4本の写本は、

「チャクラヴァーダ山に」となって、「大チャクラヴァーダ山」に相当する

が欠けている。ここで、この語はあってもなくても文脈になんら支障はきたさない。どちらの読み方も成立する。そこで以下のような選択肢がうまれる。


 (A)4本の写本すべてに「大チャクラヴァーダ山」が欠落していると考えて、

「チャクラヴァーダ山(と大チャクラヴァーダ山)に」と修正する。

 (B)T2, P1, P2 は同じ系統のグループの写本と考え、そのままにし、P3は、明らかに(T2, P1, P2)と異なる系統の写本なので、P3のみを

「チャクラヴァーダ山(と大チャクラヴァーダ山)に」と修正する。

 (C)4本ともそのままにして、

「チャクラヴァーダ山に」とする。


「チャクラヴァーダ山と大チャクラヴァーダ山に」を定型語句と考えれば(A)を選択すべきである。写本の系統を重視すれば、(B)を選択すべきであろう。ただし、(T2, P1, P2)の系統が「チャクラヴァーダ山と大チャクラヴァーダ山に」を「チャクラヴァーダ山に」と誤写した可能性を勘案しなければならないが。これら二つと比べると、(C)を選択できる根拠は最も希薄であるが、文脈に影響がない以上、ありのままにローマ字化するという主義を貫くことも許され、この選択も可能である。

5.結び

これで、写本のローマ 字化が、一筋縄ではいかない、細心の注意を必要とする作業だということが分かっていただけたと思う。ここにあげたのは、最も簡単な一例である。これが、もっと複雑な語句や言い回し、文章表現となれば、なおさらである。

また、結論を保留しておかなければならないものもある。ローマ 字化された語句や文章のなかには、研究が進めば、修正が必要となるものもないとはいえない。現時点で最良と考えられる選択が行われ、ローマ 字になおされているものもある。もちろん、できるだけ多くの写本やその他の学術資料を参照するのは当然である。このような場合、ひじょうに有効な視点が、写本の系統によるグループ分けであるが、これについての解説は、本稿の目的ではないので、ここではたんなる示唆にとどめたい。

(2005年11月17日)