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「法華経写本シリーズ」の概説



数ある大乗仏典のなかでも、「梵文法華経」の写本の数は、非常に多い。

これは、「法華経」が広い地域で、多数の民族に信奉されてきたことを示している。

また、「この経の書写によって、功徳を積むことができる」と、法華経が書写行を奨励していることも、多くの写本が現存している理由であろう。

梵文写本の3大別

現存する梵本法華経は、発見された地域によって、「ネパール系写本」「ギルギット系写本」「中央アジア系写本」の3つに大別されている。


1. ネパール系写本

ネパールを中心にした地域で発見された写本類である。種類が多く、貝葉本と紙本を合わせると30種以上発見されている。これらのほとんどが完本であることも貴重である。

貝葉本のうち、この「法華経写本シリーズ」で刊行された、ネパール国立公文書館所蔵の写本(No.4-21)とケンブリッジ大学図書館所蔵の写本(Add.1682)(Add.1683)が、比較的、古い読みを伝承していると考えられ、きわめて重要である。

2. ギルギット系写本

カシミール地方の町「ギルギット」の北方約20キロ地点で発見された多量の写本に、法華経の写本も含まれていた。

白樺樹皮にグプタ文字で書かれている。

全体の約4分の3が残存し、渡辺照宏によって、それらの写真版とローマ字版が1975年に出版された。

3. 中央アジア系写本

「西域」と呼ばれたシルクロード周辺のオアシス国家で発見された写本群である。

最大の分量のものは、ロシアのカシュガル総領事であったペトロフスキーが1903年に入手したもので、「ペトロフスキー本」あるいは「カシュガル本」と呼ばれている。

ほかに、出土した地域や収集者にちなんで、カーダリク本、ファルハードベーグ本、マンネルハイム本、トリンクラー本、大谷本その他、無数の断簡がある。

本来、一葉であった写本の断片が、さまざまな事情によって、別々の国の博物館などに所蔵され、それらの中には、いまだに未整理のものもある。本シリーズの「カーダリク写本」は、2カ国、3機関、4コレクションにわたる一つの写本をまとめ上げたもので、この分野の貴重な研究成果である。


ちなみに、梵文写本から漢訳された法華経は6種あるとされるが、そのうち完本で現存するのは①『正法華経』(西暦286年)②『妙法蓮華経』(西暦406年)③『添品妙法蓮華経』(西暦601年)の3種である。

これらのうち、中央アジアのオアシス国家・亀茲国出身の鳩摩羅什による『妙法蓮華経』が古来、中国、日本で最もよく読まれ、研究されてきた。

また、ウイグル語、西夏語、モンゴル語などの法華経も、この『妙法蓮華経』からの重訳である。


また、梵文法華経の校訂本としては、これまで「ケルン・南條本」(1908~12)、「荻原・土田本」(1934~35)、「ダット本」(1953)などの先駆的業績があったが、今日の学問的水準から見ると、いずれも信頼に足りる校訂本とはいえない。

「学術の発展」と「平和の拡大」のために

創価学会「法華経写本シリーズ」は、これら数多くの写本から、最も貴重と考えられる写本を「写真版」や「ローマ字版」として順次発刊し、世界の学者・仏教研究者に広く提供して、「法華経」を中心とした初期大乗仏教の研究に資するためのものである。


東洋哲学研究所の創立者・池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に対して、各国の研究者・研究機関から貴重な写本の複製版やマイクロフィルムが贈られるなど、交流が積み重ねられていたという経緯もあった。

創立者は、本シリーズによってもたらされる学問的基盤の上に、将来、人類の英知を結集した「総合的法華経学」ともいうべき研究が発展していくことを期待し、大要、こう述べている。

諸写本の比較研究によって、

  • ① 法華経の成立と伝播の系譜をさぐる。
  • ② 諸民族・諸文化の多様性に法華経がどう対応・変化してきたかをさぐる。
  • ③ 諸民族の文化形成に、法華経の「開会の法門」がどう寄与したかをさぐる。
  • ④ 法華経の伝播史から「歴史の教訓」を引き出し、地球上の多様な文化圏の差異に応じて、それぞれの特質を生かしながら、普遍的な人類意識を養う方途をさぐる。


すなわち、法華経の「過去」を精査しながら、それを「現在」と「未来」に生かしていくことこそ、この「写本シリーズ」の目的である。

法華経は「万人は等しく、仏になる可能性をもった尊極無比の存在である」と説く。

個々人には内面世界の限りなき開発をうながし、社会には人類の共生と自然との調和を教える「希望の経典」である。

そうした法華経の平和の精神を、地球社会の大きな潮流にしていくことを願っての刊行事業なのである。

シリーズ「第2期」を刊行中

これまでにシリーズの第1期「6種8冊」が完結し、第2期を刊行中。


①『旅順博物館所蔵 梵文法華経断簡―写真版及びローマ字版』(通称「旅順写本」)

  • 編者:蒋忠新
  • 発行日1997年5月3日
  • 中央アジア系写本の断簡

あの「ミロノフが紹介した法華経写本」は、どこにあるのだろうか――。その全貌を知ることはできないのか? ロシアの学者、ニコライ・ミロノフが1927年に紹介した、中央アジア出土の貴重な断簡は、世界の学者が研究を待望したにもかかわらず、その後、行方がわからなかった。

1980年代になって、中国の旅順博物館に保管されていることが、中国社会科学院の故・蒋忠新教授によって確認された。しかも、ミロノフが紹介していない断簡も含まれていた。

その全貌を初めて明らかにしたのが、この「写真版及びローマ字版」である。


②『ネパール国立公文書館所蔵 梵文法華経写本(No.4-21)』(通称「N1写本」)

  • 写本書写年代:12世紀ころ
  • ネパール系貝葉写本のなかで、古いグループに属する写本

②-1.写真版

  • 発行日:1998年11月18日

②-2.ローマ字版1

  • 編者:戸田宏文
  • 発行日:2001年5月3日

②-3. ローマ字版2

  • 編者:戸田宏文
  • 発行日:2004年3月25日

この写本(No.4-21)は、ネパール系の貝葉写本のなかでも、古いグループに属すると推定されている。しかも、経典全体がほぼ欠損なく残されている完本であり、きわめて貴重なものである。

使われている梵語の文字は、ブラーフミー文字の一種で、読解には高度な専門知識が必要なため、ブラーフミー文字をローマ字表記に直した「ローマ字版」が待望されていた。

法華経写本研究の世界的権威である故・戸田宏文徳島大学教授(1936~2003)が、それを実現した。


③『カーダリク出土 梵文法華経写本断簡』(通称「カーダリク写本」)

  • 編者:クラウス・ヴィレ
  • 発行日:2000年5月3日
  • 原典所蔵機関:ベルリン・国立図書館、ミュンヘン・国立民族学博物館、ロンドン・大英図書館
  • 梵文法華経写本断簡、中央アジアの古写本

「カーダリク」とは中国・新疆ウイグル自治区にある遺跡である。この地で発掘された法華経写本は散逸し、断簡が、ヨーロッパ各地で、それぞれ保管されてきた。

今回はこれらをひとつにまとめ、整理して刊行したものであり、「中央アジア系の梵文法華経写本」研究に必携の書となった。

編纂は、ドイツ・ゲッティンゲン大学のインド学仏教学研究所(現・インド学・チベット学研究所)のヴィレ博士。博士が12年の歳月を使ってローマ字化した労作である。

「ローマ字版」に加えて、後半に詳細な「コンコーダンス(各写本の相互関係を対照表にしたもの)」と、カラーの「写真版」が収められている。


④『ケンブリッジ大学図書館所蔵 梵文法華経写本(Add.1682およびAdd.1683)―写真版』(通称「ケンブリッジ写本」(C3)(C4))

  • 発行日:2002年3月26日
  • 写本書写年代:10~11世紀
  • ネパール系貝葉写本のなかで、古いグループに属する写本

写本「Add.1682」「Add.1683」の「原寸大カラー複製本」である。

ネパール・チベット系写本のなかでも最も古い部類に属していると考えられている。10世紀から11世紀ごろの書写と思われる。

またAdd.1683は世界最初の法華経の校訂本「ケルン・南條本」の底本の一つである。


⑤『東京大学総合図書館所蔵 梵文法華経写本(No.414)―ローマ字版』(通称「東大写本(T8)」

  • 編者:小槻晴明
  • 発行日:2003年11月25日
  • 写本書写年代:17~18世紀
  • ネパール系紙本

1903年に河口慧海がネパールで入手し、日本にもたらした紙写本。校訂本「ケルン・南條本」の底本の一つである。

多くのネパール系写本の中でも最優先に解読・ローマ字化されるべきと言われてきた。

東京大学総合図書館の許可を得て、東洋哲学研究所委嘱研究員の小槻晴明氏によって編まれた。梵文法華経写本研究の世界的権威である故・戸田宏文博士の指導により、6年半の歳月を経て完成にいたった。

小槻氏によれば、書写年代は17~18世紀と推定されるが、内容は13~14世紀頃の書写とされるネパール国立公文書館の貝葉写本(No.5-144)と極めて類似している。


⑥『ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部所蔵 西夏文「妙法蓮華経」――写真版(鳩摩羅什訳対照)』(通称「西夏文写本」)

  • 編者:西田龍雄
  • 発行日:2005年3月25日
  • 写本書写年代:11世紀はじめ~13世紀

「写本シリーズ」で初の梵文以外の法華経写本である。

西夏国――映画化もされた井上靖氏の小説「敦煌」に登場し、一般にもよく知られるようになった。11世紀はじめから13世紀にかけて、中国西北地域で繁栄した王国である。

西夏文字は、同国で創案された独特の文字。多くの漢訳仏典・中国典籍が西夏文字に翻訳された。

これは、ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部が所蔵する西夏文の法華経の写本と刊本(印刷本)の「写真版」。鳩摩羅什の漢訳『妙法蓮華経』から翻訳されたものであり、これと対照されている。

編者である西夏語の世界的権威・西田龍雄京都大学名誉教授は「西夏文法華経は西夏語研究にとって第一級の資料であると言い得る」「まだまだ未知の面をこの資料は豊富に秘蔵している」としている。


⑦『英国・アイルランド王立アジア協会所蔵 梵文法華経写本(No.6)―ローマ字版』(通称「王立アジア協会写本」)

  • 編著者:小槻晴明
  • 発行日:2007年3月30日
  • ネパール系紙写本

写本シリーズ「第2期」の第1冊

世界最初の梵文法華経校訂本である「ケルン・南條本」(1908~1912年)の底本として使われたた紙写本であり、〝梵文法華経研究の原点〟ともいえる。

「ケルン・南條本」は、7種類の系統が異なる写本を無原則に校合して作成されたため、つぎはぎだらけのテキストになってしまった。「王立アジア協会写本」ローマ字版は、この無原則なテキストを解きほぐすためのものであり、小槻晴明氏(東洋哲学研究所委嘱研究員)が5年の歳月をかけて完成した。


⑧『パリ・アジア協会所蔵 梵文法華経写本―ローマ字版』(通称「パリ・アジア協会写本」)

  • 編著者:小槻晴明
  • 発行日:2008年3月31日
  • ネパール系紙写本

写本シリーズ「第2期」の第2冊。

ユジェーヌ・ビュルヌフ(1801―1852年)によるフランス語訳「法華経」の底本となった写本のローマ字版である。

今回のローマ字化により、梵文原典とフランス語訳からの比較・検討という新たなアプローチが可能になり、大乗仏教がヨーロッパ世界にどう受け入れられてきたか―その原点が明らかになるとともに、文献学的にも貴重な基礎資料となると期待される。ローマ字版は、小槻晴明氏(東洋哲学研究所委嘱研究員)が完成した。