『人権の世紀へのメッセージ――“第三の千年”に何が必要か 』
池田大作 アドルフォ・ペレス・エスキベル
<現在、「東洋学術研究」(年2回刊)誌上で連載中>

東洋 哲学研究所創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が、アルゼンチンのノーベル平和賞受賞者、アドルフォ・ペレス・エスキベル博士による対談です。
同博士は画家・彫刻家であり、ラテンアメリカの軍事政権に抵抗してきた人権活動家です。
第1回の今回は、両者の長年の人権闘争の具体例を通して「権力悪と戦う不屈の精神」が語られています。また第2回は、影響を受けた人物との「出会い」や、権力のもつ魔性をめぐって、第3回は「女性の力」について対話が進んでいます。
第3回対談より抜粋 (2007年12月刊=第46巻第2号)
池田 21世紀に始まる「第三の千年」の主体者は、女性です。
生命を育み慈しむ慈愛こそ女性の特質です。
その女性の意見に、これまで以上に耳を傾け、女性の智慧を尊重していかなければ、どんな団体も伸びていくことは難しい時代です。未来への発展はおろか、かつての悲惨な戦争の道に再び進んでいかないとも限りません。
女性こそが、「戦争と暴力の時代」から「平和と共生の時代」へと、人類史を転換させる担い手です。
女性の善の連帯こそが、人類の平和と幸福の基盤なのです。
(中略)
エスキベル 私はかつて、インドのムンバイを訪れ、インド独立の戦いに参加したマハトマ・ガンジーの同志とお会いしたことがあります。皆、かなり高齢になっていたにもかかわらず、理想を保ち続け、非暴力の抵抗運動に対する情熱はそのままでした。
ガンジーは、インドの解放のための道は、男女とも同じ条件の下に、両者で分かち合わなければならないと考えていましたが、ガンジーとともに自由という理想実現に灯した炎を、今も赤々と灯し続けている人の大半は女性でした。
女性のもつ可能性について、ガンジーはこのように語っています。
「もし、『力』が精神の力を意味するのであれば、女性は計り知れないほど男性よりもすぐれている」
「もし、非暴力が、私たち人間の法則であれば、未来は女性のものである」(『ヤング・インディア』1932年1月14日)と。
(中略)
池田 総じて、女性の特質として連想されるのは、「共生」「結合」「調和」「平和」といった価値です。あくまで、自他の生命の「内発的」な働きなくして達成できないものです。
その対極にある「対立」「排除」「戦争」といった、他の生命に対して「外圧的・強制的」に臨む働きは、むしろ男性の特質に近いものとして連想されます。
その点、フランスのルソーや、ドイツのジャン・パウルなど、教育論を通じて「人間的なるもの」を考察した先哲たちは、ともに「女性的なるもの」の重要性を訴えました。そして女性を尊ばない時代、女性の声を聞かない社会は堕落すると喝破していたことは、示唆に富んでいます。
「戦争と暴力の20世紀」に、女性は、あまりにも多くの苦悩と悲惨を強いられました。そうした、いわば男性的原理の行き着いた負の遺産は、いまだ払拭されたとはいえません。
しかし、21世紀は、人間の存在基盤である「いのち」「こころ」「たましい」「家族」といった諸価値がクローズアップされ始めていることも事実です。それは、いわば女性的原理に近いものです。
「競走」から「共生」へ、「外圧」から「内発」へ――21世紀を「平和の世紀」「生命の世紀」と決定づけるのは「女性的なるもの」の復権ではないでしょうか。
女性の笑顔が輝き、女性がはつらつと活躍できる社会には、活力があり、調和があります。希望あふれる明るい未来があります。
「生命」を慈しみ、断固として「暴力」を許さないという点において、21世紀は、女性がもつ、このような精神の力がますます必要とされる時代になるでしょう。
(中略)
エスキベル 個人主義から団結の方向へ、また、民衆と希望を分かち合う方向へと、時代は移りつつあります。私たちは、自分ひとりでは自由になれず、皆一緒に自由になるのです。そして自由を獲得する闘いにおいても、女性は重要な役割を担っています。女性が沈黙を破り、良心によって立ち上がれば、世界がよりよい方向へ変わっていくことは間違いありません。
第2回対談より抜粋 (2007年5月刊=第46巻第1号)
池田 人生とは、出会いによって創られていくものです。それが人物であれ、また書物であれ、「良き人生」には必ず、大きな啓発をもたらす「良き出会い」があります。「良き出会い」こそ、人生の喜びでありましょう。博士の人生において特別な意味をもつ方はいらっしゃいますか。
エスキベル はい。ご質問にお答えするために、私はあるエピソードを紹介したいと思います。
数年前、私たちはワシントンにあるOAS(米州機構)の本部におりました。OASの50周年(2001年)記念のためです。
そこには、各国の外交使節団、要人、法律家、さまざまな国際機関の代表者、特別招待客などが参加していました。行事は儀典にしたがって、粛々と進んでいきました。会合のプログラムのひとつとして、さまざまな分野のノーベル賞受賞者5人が集っての対談がありました。
司会者が私に「あなたにとっての英雄はだれですか」と聞きました。私は、ただ一言、「私の英雄は祖母です」と答えたのです。
すると、大きなホール中に笑い声が響きました。私の話で外交団が、このように爆笑するところを見たことがありませんでした。だれも、尊敬する英雄が祖母であると答えるとは、考えていなかったようです。
(中略)
池田 じつは、以前、私も、ある著名な方とお会いした時、「この世界で一番尊くて一番偉い人はだれですか」と質問されたことがあります。
そのさい、私は一言、「最も庶民のお母さんです」とお答えしました。
毎日、雨の日も風の日も、冬も暑い夏も、太陽は同じように運行していく。その太陽と同じように、いかなるときも、庶民のお母さんは、多くの労苦を一身に担って、生命を育み、守り、慈しむ。庶民のお母さんが一番尊くて偉いのだ――そのような、私の心情を託したのです。
(中略)
エスキベル 祖母は、よくこう語ってくれました。
「ほら、こっちに来てごらん。そして座ってパチャママ(母なる大地)が、あなたを香りで包むがままにしておいてごらんなさい。パチャママは、あなたにとって何が良いことかをわかっているんだよ。パチャママの声を聞けるようにならないとだめだよ。でも、頑張る必要はないんだよ。ただパチャママが言葉を使わずに話しかけてくるままにしておけばいいんだよ」と。
彼女は、年を経るごとに、言葉を用いずに理解する知恵を身につけ、高慢な人がわかるようになっていました。
良い人物だとわかると、祖母は、かたことのスペイン語で言いました。
「その人は良い人だ。あなたを見ることができるし、あなたの言葉を聞いている」
反対に、その人のことが気に入らないと、「その人には気をつけなさい。その人は正面からものを見ない。いつでも爪でひっかくよ」と。さらに「言いにくいことを言うさいに、あなたを正面から見なかったり、ひんぱんに顔をそむける人は、信頼してはならない。その人は怪しい人だ」とも言っていました。
(中略)
池田 思い起こされるのは、ガンジーが、ある政治指導者に語った忠告の言葉です。
「権力に心してください。権力は人間を堕落させます。権力の華麗さや虚飾の虜(とりこ)にならないようにしてください。あなたがたはインドの農村の貧しい人びとに奉仕する任務(つとめ)を担っていることを、忘れぬようにしてください」と。
(中略)
池田 ガンジーは、政治と宗教について、繰り返し言及しておりました。
「私にとっては、宗教を離れた政治は全く汚いものであって、常に忌避すべきものだ」
「わたしの闘いは、たんに政治的なものだけではありません。それは宗教的であり、それゆえに、きわめて純粋なのです」と。
権力をもつ人間自身が、魔性に打ち勝ち、生命を浄化し、行動を正しいものにするには、確固たる「宗教性」「精神性」が必要である。
ガンジーの叫びには、そうした意義が含まれているのではないでしょうか。
第1回対談より抜粋 (2006年12月刊=第45巻第2号)
池田 私は、「人間の尊厳」のために立ち上がり、現実の行動をもって時代を変革した人を、最も尊敬します。
エスキベル博士は、まさにその一人であり、世界にとってかけがえのない宝の人です。
軍事独裁政権からの度重なる弾圧にも屈せず、正義の信念を貫いて戦い抜かれた人生。生死を賭けた、すさまじいまでの平和への努力。その生涯そのものが、人類に勇気と希望の光を送り続けています。
(中略)
池田 1974年、それまでラテン・アメリカ各地で展開されていたキリスト教活動家による非暴力の人権運動を基盤に、人権団体「平和と正義のための奉仕(SERPAJ)」が結成されました。博士は、その創設者の一人として会長に就任されています。この「平和と正義のための奉仕」は、「非暴力による闘争」をスローガンに掲げ、ラテンアメリカ全土に民衆の連帯を広げていきましたね。
(中略)
エスキベル まさにドラマは、翌年の1975年に起こりました。老若男女を問わず、多くの人々が私たち「平和と正義のための奉仕」ラテンアメリカ支部のオフィスへ押しかけてきたのです。
そのとき、私たちは〝(誘拐された)愛する者がどこにいるのか教えてほしい〟との切なる叫び声を聞きました。しかし、国はこれを黙殺するか否定的な返答を繰り返すばかりでした。教会の多くは、被害者の家族には扉を閉ざし、労働組合や政党も身動きが取れない状態に置かれていました。犠牲者の家族は、張り裂けんばかりの苦しみを胸に私たちのもとにたどり着いたのです。
私たちは連帯を表明し、苦痛を分かち合いながら、彼らの側に立とうと努めました。受身の姿勢で皆の言葉にただ耳を傾けているわけにはいきませんでした。とにかく行動することが必要でした。
私たちの良心が、精神が、人としての尊厳が、同胞の苦しみを前に無関係をよそおうことを許さなかったのです。
(中略)
池田 軍事政権(1976~83年)のもと、アルゼンチンでは、誘拐や拷問などの手段によって、多くの人々が尊い命を奪われた。
そのさなかで、敢然と立ち上がられたのが博士でした。博士は痛恨の暗黒時代を、創価大学の学生たちを前につぶさに語ってくださいました(1994年6月)。
「3万人が一度に殺されたわけではありません。1人、2人・・・と消されていったのです。犠牲者が5人、10人、100人と増えていっても、社会は抗議の声をあげませんでした。その結果、3万人もの人々が命を失ったのです」と。
体験した人にしか語れない衝撃的な話に、学生たちは身じろぎもせず聴き入りました。
(中略)
池田 (博士の逮捕は)1977年の4月のことですね。博士は、ゆえなき罪を着せられ、法律的な手続きを何一つ踏まないままに投獄されて、電気ショックなどの激しい拷問を受けられた。
政府を批判するものは、次々と闇から闇へ葬り去られていた時代、いつ人知れず殺されてもおかしくない状況でした。
(中略)
エスキベル 投獄されてしばらくは、「トゥーボ(管)」と呼ばれる独房の中に閉じ込められました。吐き気を催す、小さな牢獄の中で、昼と夜が単調に過ぎていきました。
これといった変化といえば、囚人が移送されてきたり、武器や車の音が聞こえてきたりすることだけでした。アマンダ(博士の夫人)は、毎日、私に食事を届けてくれ、時には数分間の面会の時間を融通されることもありました。
「トゥーボ」の扉が開けられた時は、廊下の明かりに目が慣れるまで、眩しくてクラクラしていました。そのとき、この拷問の中心地に収監されてきた男女の「碑文」を見ることができました。
そこには愛する人の名前や祈りの言葉が刻まれていました。その幾つかを今も覚えています。
「(迫害者も私たちも)人生の終焉の時を迎えるとき、『お前は、人生で人に愛を施してきたか』と問われることになるのだ」
「主よ許したまえ、彼ら(不当に投獄した人々)は、(自分たちが)何をしているのかさえわからないのです」
「神よ、救いたまえ。安らぎを与えたまえ」
ほかにも、警察や軍隊を罵倒する言葉や、大好きなサッカーチームの名前やエンブレムが描かれていたことを覚えています。
なかでも今日に至るまで、私の心と精神に最も深く強烈な印象をもって刻まれているのは、牢獄の壁に残された大きなシミです。徐々にわかってきたのですが、そのシミは血でできたものでした。「神は殺さない」と書かれていました。
〝神は、罪なき人間を殺したりはしない。私は、神に見放されて死ぬのではない〟〟――これは拷問にかけられ極限状態に置かれた人の魂の叫びであり、信仰の証でした。そうした状況でも、自らの血をもって、神に祈ることができたのです。
池田 永劫に忘れてはならない叫びです。
正義への迫害が、どれほど繰り返されてきたことか。第2次世界大戦中、創価学会の牧口初代会長は軍部政府と戦い、獄死しました。
牧口会長と同時代を生きた日本民俗学の創始者である柳田國男氏は、仏教への深い理解はなかったのですが、一方では、戦後、牧口会長を偲びながら、次のような文章を寄せています。
「若い者を用(つか)って熱心に戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨(にら)まれて意味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は、出されて直(す)ぐかに死んでしまった。宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけである」(『定本柳田國男集』別巻第3、筑摩書房。現代表記に改めた)
苛烈を極めた特高警察の取り調べに対して、牧口会長は一歩も引きませんでした。
略歴 アドルフォ・ペレス・エスキベル
1931年、アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれる。国立美術学校と国立ラ・プラタ大学を卒業後、彫刻家・画家・建築家として高い評価を受け、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所のモニュメント制作など国際的に活躍。74年、「平和と正義のための奉仕」の会長に就任。軍政下での人権擁護と貧困層救済を目指してラテンアメリカ全域での活動を始め、近隣諸国から追放処分を受ける。アルゼンチンの軍事政権による多大な「行方不明者」の追跡と非暴力による紛争解決に奮闘して七七年に逮捕され、14カ月間、過酷な獄中闘争を続けた。獄中でヨハネ23世記念平和賞を受賞。80年、ノーベル平和賞を受賞。その後も、世界に人権活動を広げている。ブエノスアイレス大学をはじめ世界の多数の大学の名誉博士・名誉教授。アマンダ夫人はピアニスト・作曲家。
