『美しき獅子の魂――日本とブルガリア』トピックス
発刊を記念して創立者にインタビュー
対談集『美しき獅子の魂』の日本語版に続き、ブルガリア語版が完成したことを記念する特別インタビューが行われ、創立者・池田SGI会長は「文化交流の目的は」「人間教育とは何か」等の質問に答えた。さらに「仏教の特長」「青年に託す期待」などについて述べた。
インタビューが行われたのは2000年8月4日。聞き手は創価学会本部国際広報部の津村理恵さん。その概要を紹介する。
(※聖教新聞2000年8月10日付より)
――対談集『美しき獅子の魂』のブルガリア語版の発刊、おめでとうございます。
最初に著者である池田先生から、ブルガリアの国民の皆さまに、何かメッセージをお願いします。
池田SGI会長 対談集の発刊にあたり、まず、多くの皆さまのご尽力に心から感謝申し上げます。
私は、これまで、数多くの世界の識者と対話を重ねてきました。平和、文化、教育を基軸として、世界史的、人類史的な視点で、多次元の語らいをしてまいりました。
「対話」ということが最高の「平和の王道」であるからです。
「対話」こそ「人間が人間であるための大道」であると確信しているからです。
半島と文明
会長 創価学会の牧口常三郎初代会長は小学校の校長であり、「地理学」の大家として有名でありました。
その牧口会長は、「文明の起点」としての「半島」の役割に注目しておりました。
つまり、「半島」は、世界をリードするような「偉大な文明」を発信すると述べているのであります。
その意味で、バルカン半島に位置する貴国が、どれほど重要な役割を果たしてこられたか。それは歴史的にも明確であります。
とくに貴国は、他国の支配と戦いながら、シルクロードの「西の起点」ともいうべき偉大な文明を築いてこられた。その「文化の力」に、私は深い関心を持ったのであります。
幸いなことに私は、ジュロヴァ博士という、才能豊かな、立派な人格者の女性とお会いすることができました。「真理の探究者」であり、「価値の創造者」でありました。
「ブルガリアの文化が頭の中に全部入っているような方」でありました。
私は、貴国の素晴らしさを日本に紹介する良い機会でもあり、ぜひとも、貴国に焦点をあてた対談をしてみたいと思ったのです。
そこで、博士に対談を申し込みました。博士は大賛成してくださいました。
私たちは、決して、あわてることなく、じっくりと意見を交換しながら、「後世に残る一冊」をつくっていきましょうと、最初に話し合いました。
そして、対談は始まったのです。
女性の世紀を開きゆく一書
会長 今回、特に申し上げたいのは、女性との対談集であるということです。
これまで私は、トインビー博士、ペッチェイ博士、ポーリング博士、キッシンジャー博士……多くの著名人と語り合いましたが、「女性との対談集」は、なかったのです。
来るべき21世紀は「女性の世紀」と言われております。
その意味でも、博士のような「学識と人格を兼ね備えた女性」と対談集を残せたことが、私は大変うれしいのです。
合唱の国
会長 ブルガリアは「合唱の国」です。
「合唱の国」は「平和の国」です。「文化の国」です。
20年ほど前(1981年)、私は初めてブルガリアを訪問しました。
美しき古都プロブディフも訪れました。日本で言えば京都に当たるでしょうか。「世界最古の街」のひとつです。
その折、少年合唱団の皆さんが、美しい歌声で迎えてくださいました。
天使の歌声は、今も胸に刻まれています。一編の詩のように――。
詩人ヴァーゾフは謳っています。
「親愛なるブルガリア 私の愛する国 人々の親切に溢れる国よ!」
この詩の通り、人々は本当に心温かく迎えてくださいました。
親切こそ、ブルガリアの美質であります。世界の人々が見習うべき点であると思います。
訪問の際、私はブルガリアと日本の21世紀への友情を願って、「樅の木」を植樹させていただきました。
先日、創価大学からソフィア大学に留学し、現在もブルガリアで活躍する青年から便りが届きました。
「かつて、池田先生が植樹された小さな苗木が、今では見上げるほどの大樹に育っています」と。
両国の青年たちの友情が、この樅の木のように、さらに大きく成長していくことを念願するものです。
私の誇りは、ブルガリア第一の学府であるソフィア大学と私の創立した創価大学が、学術交流を結んだことです(1984年)。留学生と交換教員の往来は、今も続いております。
文化の花の道を
会長 ブルガリアは「バラ」が有名です。美しい「バラの谷」もある。
「バラの国」と「桜の国」である日本を、美しい「文化の花の道」で結びたい――そう願って、私は博士との対談を重ねてきました。
明2001年を、国連は「文明の対話の年」と決議しました。
その開幕を前に、博士との「文明の対話」の一書を完成できたことは重要な意義があると思います。
ブルガリアは、スラブ文字を創造した国です。
そして、書物を非常に大切にし、「魂」として、一貫して守り抜いてこられた「文化の大国」であります。
ブルガリアの素晴らしい文化を日本人はあまりにも知らない。もっと学ぶべきです。
メロディーや楽器が似ている
会長 ジュロヴァ博士は対談集で語っています。
「ブルガリアはバルカン半島に位置しているため、ヨーロッパとユーラシア大陸の草原地帯を結ぶ『橋』の役割を果たしました」
またシルクロードの文化交流について、「仏教とキリスト教は中央アジアおよび北西イランで共存していて、この2つの文化の交流は中世期を通して活発に行われていました」と。
さらに、こんな思い出も紹介してくださいました。
「私は、日本を初めて訪問した日に、ラジオで日本民謡を聴きましたが、日本の楽器やメロディーがバルカン半島のものと似ていることに、とても驚きました」
東と西、文化と文化、人と人が出あい、交流したシルクロード――その壮大な歴史に思いをはせるとき、私は21世紀に向かい、文化国家・ブルガリアとの友好を、一段と深めていかねばならないと強く感じます。
なぜ戦争したか
――創価教育では、よく「人間教育」という言葉を使います。「知識を育てる」ことも教育の一側面ですが、人間教育とは何でしょうか。
会長 古来、教育とは、知性の追求であり、学問の探求でありました。
教育の結果、人間の頭脳は開花され、知識は広がり、産業や技術の発展に応用されて、あらゆる面に生かされてきた。それは、非常に幸福な一面もありました。
しかし、反面、科学が栄えれば、素晴らしい文化が栄え、素晴らしい平和の国ができる――そう信じたところに、文明人の一つの落とし穴があった。
人類は何回も大戦争を起こしてしまったのです。
それは一口に言えば、「教育の失敗」が原因だったのではないでしょうか。
問題は、教育が「一部の人間」に利用されてしまうことにあるでしょう。
人間の生命には「善」もあれば「悪」もある。
ゆえに人間は、教育によって、善にもなれば悪にもなるんです。
教育は、悪を引き出すこともできるのです。
日本の軍国主義教育がそうでした。そうやって戦争の道を進んだのです。
ゆえに徹して、「人間のための教育」でなければならない。
「人間の幸福と平和と自由のための教育」でなければならない。
それが、創価の「人間教育」です。
この「人間教育」を万人に広げていくことです。「一部の人間」に教育を独占させてはいけません。
たとえ、遠回りに見えても、地道な歩みのようであっても、一人一人の「教育の扉」を開いていく。
それが最大の「平和」の力であり、「自由」の源泉であり、最も確実な「幸福」の土台になっていくのではないでしょうか。
教育なき宗教は独善に
会長 創価学会は、初代会長も教育者でした。2代会長も教育者でした。教育の裏づけのない宗教は、ドグマ(独善)になる。危険です。
教育と哲学。教育と宗教。この連関性が大事です。
仏法は「道理」
――21世紀を目前に今、仏教が大いに注目されています。21世紀を「平和の世紀」にしていくために、どのような点で、仏教が貢献できると思われますか。
会長 私たちの社会は、無数の異なった利害から成り立っています。
どうすれば、より多くの人を豊かにしていくことができるか――ここに政治や哲学、さまざまな理念が要請される理由があります。
ですから、経済家は経済家として、政治家は政治家の立場で、未来への展望や示唆を与えなければならない。
同様に、仏教者にも社会に果たすべき使命があります。責任があります。
仏教の優れた点は、第1に、すべて道理にかなっている点です。
普遍的で、人生というものを余すところなく包含した教えなのです。
たとえば、生命には「十界」という10種類の境涯がある。細かく見ると、その働きは「三千」にもなる。それがまた宇宙とも、環境とも、つながっていると説いています。
だから、生命の中にある福徳の力が、現実の幸福という形になる、と。
一般に宗教は観念論が多いと言われます。ともするとドグマに陥りやすい傾向があるのも事実です。
それに対し、仏法は、あくまでも「万人が納得できる道理」に基づいた法です。
生活と社会と宇宙を貫くリズムに則った教えなのです。
生命は平等
会長 第2に、仏教は、どこまでも生命尊重であります。
絶対に戦争を起こしてはならない。人を殺してはならない――こういう教えです。
また、生命は平等であると説きます。
たとえ社会的な地位の差があったとしても、生命という次元から見れば全く差別がない。あってはならない。そう説いています。
簡単な教えのように思えるかもしれない。しかし、人類の歴史は「差別の歴史」でした。「差別」があらゆる悲劇を引き起こしてきた。
こうした不幸の原因である「差別」を、根本的に打ち破っているのが仏法なのです。
人間として輝く
会長 第3に、仏教は人間主義です。
宗教というと、教会や寺院、また布施や供養を思い浮かべる人が多い。
しかし、仏教の開祖である釈尊は、最後まで、権威、形式を離れ、飾らない一人の人間として輝き続けました。私どもの信奉する日蓮大聖人も、そうです。人間としての行動がすべてでした。
人間から出発して、人間に帰着する。仏法は、どこまでも人間のための教えなのです。
そして、その人間が宇宙や自然と共生しながら、生きとし生ける、すべての生命を慈しむ――ここに仏法の優れた教えがあるのです。
「私の神は、私の心に在り!」
会長 ブルガリアの詩人ボテフは謳っています。
「おお わたしの神よ 正しき神よ!/それは 天の上に在(おわ)す神ではなく/わたしの中に在す神なのです/わたしの心と魂の中の神なのです」(真木三三子訳)
人間自身の心の中に、神にも等しい、究極の善性が備わっていることを、高らかに謳いあげている。仏法に通じます。仏法では、一切の人々の生命に「仏性」という尊極の存在を説くからです。
青年しか未来をつくれない
――21世紀を担う青年へのメッセージを、ぜひお願いします。
会長 私は平凡な人間です。偉大な多くの指導者のような、立派な言葉は申し上げられませんが、だれよりも青年を愛しています。そう自負しています。
青年しか、次の時代を、未来を創造する人はいません。
いかなる帝王よりも、いかなる老いた政治家や経済人よりも尊い。
青年のみずみずしさ。
未来に生ききる、未来を志向した、たくましいエネルギー。
何かを建設しようとする創造力。
これは、だれも持てない。青年しか持てない。
青年を、どれだけ大事にし、立派に育成するか。これが教育者の使命であり、政治家の責務であり、大人の義務ではないでしょうか。
私は青年を信じます。青年しか、未来を平和にできない。楽しく、仲むつまじい、朗らかな、明るい、理想的な世界をつくる人は、青年しかいない。老人ではできない。今の指導者にはできない。青年です。
青年は「人類の宝」――こう私は結論したいのです。
